瀧本美織さんの父親について調べているあなたへ。
お父さんの名前は瀧本浩志さんといい、鳥取で広告代理店を30年以上経営する社長さんです。
「その言葉だけで嬉しいよ、ありがとう」——父の日に娘から「何もできなくてごめんね」と連絡を受けた浩志さんのこの返答、読んだだけでジンときませんか?
・瀧本美織さんの父・瀧本浩志さんの名前・年齢・会社のプロフィール
・株式会社ムーブとはどんな会社で、社長になったきっかけ
・実家がお金持ちと言われる3つの理由と親子の感動エピソード
瀧本美織の父・瀧本浩志のプロフィールと親子の絆
瀧本美織さんのお父さん・瀧本浩志さんについて、プロフィールや会社の詳細、そして親子の温かいエピソードまで詳しくご紹介します。
父親・瀧本浩志のプロフィールと年齢
瀧本美織さんの父親は、瀧本浩志(たきもとひろし)さんというお名前の方です。
生年月日は1960年11月16日で、2024年現在は63歳。
瀧本美織さんが1991年10月16日生まれですから、親子の年齢差はちょうど約30歳ということになりますね。
お仕事は鳥取市を拠点とする広告代理店「株式会社ムーブ」の代表取締役社長で、30年以上にわたって会社を経営してきた地元鳥取でも顔の広い実業家さんです。
Instagramのアカウント(@hiroshi37takimoto)も持っていて、娘・美織さんの出演作のポスターや活動情報を積極的にシェアする投稿が多く、遠くからでもしっかり応援するお父さんの姿が伝わってきます。
以下に基本プロフィールをまとめました。
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 名前 | 瀧本浩志(たきもとひろし) |
| 生年月日 | 1960年11月16日 |
| 年齢 | 2024年現在63歳 |
| 職業 | 株式会社ムーブ 代表取締役社長 |
| 本社所在地 | 鳥取県鳥取市南隈881 |
| 東京支社 | 東京都目黒区 |
| @hiroshi37takimoto |
瀧本美織さんの父・瀧本浩志さんは、鳥取を代表する広告代理店を30年以上経営する実力派の社長さんです。
株式会社ムーブの事業内容と経歴
瀧本浩志さんが代表を務める株式会社ムーブは、1992年8月に設立された鳥取の広告代理店です。
資本金は1,000万円で、本社は鳥取県鳥取市南隈に構えており、東京都目黒区にも支社を持つ会社です。
2023年には創業32周年を迎えた、鳥取県内では長い歴史を誇る企業のひとつといえます。
株式会社ムーブの事業内容
事業の内容は、広告代理業務だけにとどまらず、非常に幅広い分野をカバーしています。
| 事業分野 | 具体的な業務内容 |
|---|---|
| マスメディア広告 | テレビ・ラジオ・新聞の広告代理業務および制作 |
| デジタルマーケティング | インターネット広告・ホームページ制作・SNS運用支援 |
| 映像制作 | CM・PV・映像コンテンツの制作 |
| 印刷物制作 | パンフレット・カタログ・ポスター・チラシ等 |
| イベント企画 | イベントプロデュース・企業ブランディング |
| 屋外広告 | 大型LEDビジョン広告の運営 |
| オンライン事業 | オンラインライブの企画・配信 |
こうして見ると、テレビやラジオの広告からデジタルマーケティング、さらにはオンラインライブの配信まで手がけているということで、かなり時代に合わせて事業を拡大してきた会社だということがわかります。
地域社会への貢献と活躍
瀧本浩志さんは会社経営だけにとどまらず、地域活動にも積極的に参加されていました。
平成15年度には鳥取県東部青年中央会の会長を一年間務めており、地元経済界でも存在感を示していたことがわかります。
また、鳥取市倫理法人会のモーニングセミナーの講師としても活動していたことが記録されています。
2011年1月6日付けのブログには「今朝は鳥取市倫理法人会のモーニングセミナーに参加。今日の講師、瀧本浩志氏は今話題の『てっぱん』のヒロイン瀧本美織さんの父です」という記述が残っており、当時すでに地域の経済人として知られた存在だったことがうかがえます。
社長になったきっかけ
瀧本浩志さんが株式会社ムーブの社長になったきっかけについては、過去のインタビューで本人が語っています。
その内容によると、もともとは経営難に陥っていた知人の会社を助けるために故郷・鳥取に帰ってきたことが始まりだったといいます。
知人の会社の立て直しに奔走し、回復の見通しが立ってきた段階で独立を考え始めたそうです。
するとその知人から「会社を買い取ってほしい」という申し入れがあり、その提案を受け入れて社長に就任したというのが経緯です。
読んでいてちょっとびっくりしませんか?
自分の会社を立ち上げるのではなく、助けに行った先の会社を買い取るかたちで社長になったという流れは、なかなかドラマティックですよね。
それだけ経営能力があって、かつ人望もあったからこそ「この人に会社を任せたい」という信頼を得られたのだと思います。
瀧本浩志さんが社長になったのは、困っている知人の会社を立て直し、その縁から会社を引き継いだというユニークな経緯があるのです。
実家がお金持ちと言われる理由
瀧本美織さんの実家はお金持ちだといわれていますが、それにはいくつかはっきりとした理由があります。
理由①:父親が広告代理店を長年経営する社長
まず一番の理由は、父・瀧本浩志さんが鳥取県内で30年以上にわたって広告代理店を経営してきた社長であるという点です。
鳥取と東京の両方に拠点を持ち、テレビCMからデジタル広告までを手がける地域の実力企業を率いてきたわけですから、それなりの収入と資産を持っていたことは想像に難くありません。
理由②:鳥取↔東京の往復費用が莫大だった
2つめの理由は、瀧本美織さんが小学6年生から高校卒業まで、ダンスレッスンや芸能活動のために鳥取と東京を行き来し続けたという事実です。
鳥取から東京への移動には飛行機や新幹線を使うケースが多く、1か月分の交通費だけで、東京都内で1DKを借りるほどの費用がかかるともいわれています。
それを数年間にわたって毎月のように負担し続けたわけですから、一般家庭ではなかなか難しい金額感であることは確かです。
加えて、東京のダンススクールのレッスン料や宿泊費なども加わってきますから、トータルの投資額はかなりの規模になっていたはずです。
理由③:私立校や大学の学費負担
3つめの理由が、教育費の高さです。
瀧本美織さんは中学受験を経て鳥取大学付属中学校に進学し、その後は私立の鳥取敬愛高等学校(入学金60万円)へ、さらに東京の亜細亜大学経済学部(学費年間130万円前後)へと進んでいます。
中学受験のための塾費用も加味すると、教育にかける費用も相当な額になっていることがわかります。
交通費・レッスン代・学費という3つの大きな出費を長年支えてきたことから、瀧本美織さんの実家はお金持ちという評判が定着したようです。
音楽好きな父の影響と芸能界への後押し
瀧本美織さんがダンスと歌を武器に芸能界へ飛び込んだ背景には、音楽好きなお父さんの存在があったかもしれません。
瀧本浩志さんは高校生の頃からドラムをやっていたといわれており、音楽が身近な環境で育った人物です。
2020年のInstagramでは「今後はギター頑張ります」という投稿もしており、現在もギターで音楽活動を楽しんでいることがわかります。
小学生の頃からダンスを習い、後にはバンドのボーカルとしてCDデビューまで果たした瀧本美織さん。
そのエネルギッシュな音楽への情熱は、ひょっとするとお父さんから受け継いだものかもしれませんね。
直接的な証拠があるわけではありませんが、音楽好きの父親を持ち、芸能活動を応援してもらえる環境が整っていたことが、瀧本美織さんの芸能人としての歩みを後押しした可能性は十分にあると思います。
……なんか、そういうつながりって、いいですよね。
芸能活動を支えた両親のサポートエピソード
瀧本美織さんの芸能活動を長年支えてきたのは、まぎれもなく両親の存在です。
小学6年生から高校を卒業するまで、仕事やレッスンのたびに鳥取から東京へと通い続けた生活は、本人にとっても決して楽なものではありませんでした。
両親と過ごせる時間がどんどん少なくなっていく日々の中で、瀧本美織さんは寂しさを感じていたと語っています。
そんなとき、芸能活動のために実家を離れることに泣いていた瀧本美織さんに、両親がかけてくれた言葉がこちらです。
「誰にでもできることじゃないのだから、全力で思い切り飛び込んでみて、それから続けるかどうか考えてみたらどう?」
この言葉が、瀧本美織さんの背中を強く押してくれたといいます。
……思わず胸に刺さりますよね、この一言。
「どうせ無理だ」でもなく「やめておけ」でもなく、「全力でやってみてから考えろ」という前向きな言葉を贈れる両親のもとで育ったことが、今の瀧本美織さんをつくったのかもしれません。
また、高校生になってからは両親との間で「勉強と仕事を両立させる」という約束を交わしたそうです。
この約束が守れなかったときは叱られることもあったそうで、ただ甘やかすのではなく、ちゃんと一人の人間として向き合い育ててきた両親の愛情が感じられます。
瀧本美織さんの芸能活動の基盤を築いたのは、長年にわたって費用・時間・精神的なサポートを惜しまなかった両親の献身的な支援があったからこそです。
父の日に語られた親子の絆
瀧本美織さんはあまり公の場で父親の話をすることはありませんが、2011年の父の日に印象的なエピソードを公開しています。
その内容はこんな感じです。
「お父さんに、父の日に何もしてあげられなくてごめんね、次会ったときは料理振る舞ってあげられるくらい頑張るからね!と連絡したら、『その言葉だけで嬉しいよ。ありがとう。』と言ってくれました」
読んでいてこちらまで温かくなるエピソードですよね。
当時はNHK朝ドラ「てっぱん」のヒロインを演じ多忙を極めていた時期で、父の日に何も贈れなかったことを申し訳なく思っていた瀧本美織さん。
それに対して「料理を振る舞う約束だけで嬉しい」と言える父・浩志さんの懐の深さが伝わってきます。
プレゼントよりも、娘が元気に頑張っているということ、そして自分のことを気にかけてくれているということが何より嬉しかったんでしょうね。
こういうやり取りを見ると、物質的な豊かさだけでなく、親子の心のつながりも深い家族だということがよくわかります。
母親のプロフィールと仲良しエピソード
瀧本美織さんの母親については、一般人のため名前・年齢・職業などは一切公表されていません。
ただ、父・浩志さんが1960年生まれということや、当時の平均的な出産年齢を踏まえると、2024年現在は50代後半から60代前半程度の年齢と推測されます。
職業についても不明ですが、夫が会社を経営する社長であることから、専業主婦として家庭を支えていた可能性も考えられます。
母との仲良しエピソード
公表されている情報は少ないながら、瀧本美織さんと母親の仲の良さは随所から伝わってきます。
2011年5月8日のブログでは、「母の日デート」をしてカーネーションをプレゼントしたというエピソードを紹介。
芸能活動が忙しい中でも、仕事がないときは母親と一緒に過ごす時間を大切にしていたようです。
2017年5月16日のブログには、母へのメッセージとしてこんな言葉が綴られています。
「お母さんありがとう。お母さんの子供で幸せだし、私の方から選んで生まれてきたんだって思います」
これはなんか……じんわりきますね。
「私の方から選んで生まれてきた」という表現、素直に感謝の気持ちを言葉にできる関係性の良さが感じられます。
休日には2人で旅行に行くこともあり、旅先でヨガをしたり雑巾がけを体験したりと、アクティブに楽しむパワフルな母子の姿も見られます。
母の職業
母親の職業は公表されていませんが、夫である瀧本浩志さんが長年会社を経営してきたことや、娘の芸能活動を積極的にサポートしていたことを考えると、家庭を中心に支えてきた専業主婦だった可能性が高いとみられています。
兄弟はいない?家族3人の絆
瀧本美織さんは一人っ子で、兄弟・姉妹はいません。
家族構成は父・瀧本浩志さん、母、そして瀧本美織さん本人の3人家族です。
一人っ子として育てられたからこそ、両親の愛情とサポートが瀧本美織さんひとりに注がれ続けたともいえます。
小学生のうちから東京との往復生活を始め、一人でレッスンをこなし、オーディションに挑み続けてきた瀧本美織さん。
その背後には、いつも父と母という2人の存在がありました。
「誰にでもできることじゃないのだから全力で飛び込んでみて」という言葉、「その言葉だけで嬉しいよ」という父の日のやり取り、そして「お母さんの子供で幸せ」というブログの一節……。
これだけのエピソードを見ると、3人家族ならではの濃い絆と温かさが伝わってきます。
瀧本美織さんは一人っ子として両親の愛情を一身に受けて育ち、今の女優・歌手としての活躍の礎を築いてきました。
瀧本美織の父を調べる人向けの関連情報
父・瀧本浩志さんのことを調べている方に向けて、瀧本美織さんの出身地や学歴、芸能界デビューの経緯についてもまとめてご紹介します。
鳥取出身というルーツとその影響
瀧本美織さんの出身地は、鳥取県鳥取市です。
鳥取といえば「日本一人口が少ない県」としても知られる地方都市ですが、瀧本美織さんはそんな鳥取から全国区のスターへと羽ばたいた一人です。
小学生の頃から鳥取を拠点にしながら東京のダンススクールに通い続け、芸能界デビューを果たしたそのバイタリティは、簡単には真似できないものです。
2010年にNHK連続テレビ小説「てっぱん」のヒロインに抜擢されたときには、地元・鳥取でも大きな話題になりました。
父・瀧本浩志さんが鳥取市倫理法人会のモーニングセミナーに講師として登壇した際も「今話題の『てっぱん』のヒロイン瀧本美織さんの父」として紹介されるほど、地域でも注目された出来事でした。
高校卒業と同時に東京へ移り住んだとみられる瀧本美織さんですが、今でも父親が鳥取を拠点に活躍していることもあり、故郷との縁は続いています。
鳥取大学付属中から亜細亜大学への学歴
瀧本美織さんの学歴をまとめると以下のようになります。
| 学校 | 詳細 |
|---|---|
| 出身中学 | 鳥取大学附属中学校(偏差値52) |
| 出身高校 | 鳥取敬愛高等学校(女子校、偏差値45〜54) |
| 出身大学 | 亜細亜大学 経済学部(偏差値40) |
中学時代
鳥取大学附属中学校は鳥取県内ではレベルの高い学校のひとつで、中学受験を経て入学しています。
中学時代はソフトテニス部に在籍しながら、「SweetS」のメンバーとして芸能活動もこなすという二足のわらじ生活を送っていました。
高校時代
高校は女子校の鳥取敬愛高等学校へ進学。
ここでもバトントワリング部に所属しながら芸能活動を並行して続けていました。
「地元の高校に通いながら芸能活動をしていた」と本人も語っており、仕事のために上京するたびに友人にノートを書いてもらうなど、周囲のサポートも受けながら学業と仕事を両立させていたそうです。
大学時代
高校卒業後は東京の亜細亜大学経済学部へ進学。
在学中の2010年にNHK連続テレビ小説「てっぱん」のヒロイン役に抜擢され、撮影期間中は大学を休学したとも報告されています。
撮影後に復学したという情報はありますが、卒業の公式発表はなく、一部では中退の可能性もあるとされています。ただし真相は公表されていません。
鳥取から中学受験をして進学し、高校まで地元で活躍、大学は東京へ——瀧本美織さんの学歴からも、着実にステップアップしてきた足跡が見えてきます。
SweetSデビューからLAGOONまでの歩み
瀧本美織さんの芸能界デビューは、実は現在の女優業よりもずっと前にさかのぼります。
SweetSとしてのデビュー
2003年8月、エイベックス主催の「avex audition 2002」に応募人数約2万人の中から15人に選ばれ、5人組のダンス&ボーカルユニット「SweetS」のメンバーとして芸能界デビューを果たします。
このときの芸名は「MIORI」。中学生でのデビューでした。
しかし2006年8月にSweetSは解散。いったん歌手活動を休業します。
女優への転身とLAGOON
その後、17歳の時にスカウトをきっかけに2008年にスターダストプロモーション芸能3部へ移籍し、女優としての活動を本格スタートさせます。
2010年には映画「彼岸島」でヒロイン役を獲得して女優デビュー。同年、NHK連続テレビ小説「てっぱん」の主役に抜擢され、一躍全国区の知名度を得ることになりました。
2011年にはドラマ「美男ですね」で民放初主演も果たします。
さらに2014年11月には、ソニー・ミュージックレコーズ所属のガールズバンド「LAGOON」のボーカルとして活動を再開。再びMIORIの名前で音楽シーンに戻ってきました。
LAGOONは「二足のわらじをはくガールズバンド」として話題になりましたが、その後活動を終了しています。
このように、瀧本美織さんはアイドルユニット→女優→バンドボーカルと、芸能界の中でさまざまな顔を持ち続けてきたマルチな才能の持ち主です。
その多才さの原点には、幼い頃から音楽に親しんでいた家庭環境と、夢を応援し続けてくれた父・瀧本浩志さんをはじめとする家族の存在があったといえそうですね。
瀧本美織の父についてのまとめ
- 父親の名前は瀧本浩志(たきもとひろし)で、1960年11月16日生まれの63歳(2024年現在)
- 鳥取県を拠点とする広告代理店「株式会社ムーブ」の代表取締役社長
- 株式会社ムーブは1992年8月設立、資本金1,000万円で鳥取市に本社・東京都目黒区に支社がある
- 事業内容はテレビ・ラジオ・新聞の広告代理からデジタルマーケティング、映像制作、イベントプロデュースまで多岐にわたる
- 社長になったきっかけは経営難の知人の会社を立て直し、会社を引き継いだことによる
- 平成15年度に鳥取県東部青年中央会の会長を務め、鳥取市倫理法人会のモーニングセミナー講師としても活躍した
- 高校時代からドラムを嗜み、現在はギターで音楽活動を楽しむ音楽好きな父親
- 瀧本美織さんの実家がお金持ちといわれる理由は、父の社長業・鳥取東京往復の交通費・私立校の学費という3点が主な根拠
- 娘の芸能活動について「全力で飛び込んでみて、それから続けるかどうか考えて」という言葉で後押しした
- 両親との約束は「勉強と仕事を両立させる」で、守れない場合はしっかり叱られることもあった
- 父の日に「何もできなくてごめんね」と連絡した美織さんに「その言葉だけで嬉しいよ」と返した温かいエピソードがある
- 母親は一般人のため名前・年齢・職業は非公表だが、芸能活動の後押しをしてくれた重要な存在
- 瀧本美織さんは一人っ子で、父・母・本人の3人家族
- 出身地は鳥取県鳥取市で、鳥取大学付属中学→鳥取敬愛高等学校→亜細亜大学経済学部という学歴
- 2003年にSweetSのMIORIとしてデビュー、解散後に女優転身し「てっぱん」「美男ですね」でブレイク、2014年11月にLAGOONのボーカルとしても活動

