奥居香さん(現・岸谷香さん)の実家や家族が気になっている方は多いのではないでしょうか。
実は、父親の死について「反抗期のまま、悪い関係のまま亡くなってしまったことを後悔している」と自身のブログで告白しているんです。
この記事では、奥居香さんの実家の場所から父親・母親・弟のエピソードまで、わかっている情報をすべてまとめました。
・奥居香の実家は広島生まれ・東京育ちで、家族構成は両親と弟の4人家族
・父親・母親のエピソードと、弟が中目黒「奥居歯科」の院長であること
・プリンセスプリンセスの経歴や岸谷五朗との結婚・子供についての情報
奥居香の実家はどんな家?出身地と家族構成を徹底解説
奥居香さんの実家や家族に関する情報をまとめました。広島生まれの東京育ちという生い立ちや、両親・弟とのエピソードまで詳しく紹介します。
実家は広島生まれ、育ちは東京・渋谷区広尾
奥居香さん(現・岸谷香さん)は、1967年2月17日、広島県広島市で生まれました。
ただ、生まれてすぐに家族で東京へ引っ越したため、実際に育ったのは東京なんです。
奥居さんが育った場所は東京都渋谷区広尾。さらに小学2年生の頃に目黒区(都立大学駅周辺)へ転居しており、渋谷区広尾→目黒区都立大学エリアが奥居さんの「生きた実家の地」と言えそうです。
東京新聞のインタビュー(2021年)では、香さんが都立大学駅周辺の思い出を楽しそうに語っており、「碑文谷に大きなスーパーができたんですよ。ステーキ屋さんが入っていて家族でよく行った」とエピソードを披露しています。
広島にはまったく縁がないわけではなく、祖母が広島に住んでいたとのこと。なんと香さんは小学3年生のときに1人で飛行機に乗って広島の祖母のもとへ行っていたそうで、小さい頃からかなり自立心が強い子だったんですね。
奥居香さんの実家は「広島生まれの東京育ち」という珍しい生い立ちを持っています。
父親は滋賀出身で、20歳の頃に他界した苦い思い出
奥居香さんの父親は、滋賀県出身の方です。
残念ながら、父親の具体的な職業や詳しいプロフィールは公表されていないため、わかっている情報は限られているのですが——。
香さんが口を開いた父親にまつわるエピソードは、どれも切ないものばかりです。
父親は奥居香さんが20歳頃(1987年前後)に亡くなっています。
香さんが芸能活動で多忙を極め、プリンセスプリンセスがブレイクの直前だった時期と重なります。
正直、読んでいて胸が痛くなったエピソードがあります。
2012年のブログで、香さんは父親の死についてこんなことを綴っていました。
「私の父は、私が二十歳ぐらいの時に亡くなってしまったんだけどさ、実は、時間が経てば経つほど、娘と父親の悪い関係のまま、亡くならせてしまったこと、後悔してんだ…。」
思春期の反抗期が終わりきらないタイミングで父親を亡くしてしまい、「ちゃんと仲直りができないまま」だった後悔を、ずっと心に抱えていたようです。
反抗期と後悔
香さんは中学時代からバンド活動に明け暮れ、高校でも音楽の道に飛び込んでいきました。思春期に自分の夢を優先するなか、父親との関係がギクシャクしてしまったのかもしれません。
20歳という年齢は、バンドがまさに走り始めた時期。父親に自分の成功を見せることも、仲直りする機会も持てないまま別れを迎えることになってしまったわけです。
この後悔は香さんが子どもに深い愛情を注ぐ「教育ママ」になった原点の一つとも感じられます。
母親がピアノを教えた音楽一家の幼少期
奥居香さんの音楽の才能は、間違いなく母親のおかげと言えるでしょう。
香さんの家には元々ピアノがあり、母親自身がピアノを弾く家庭でした。
なんと香さんは首が据わる頃から母親にピアノを教わっていたといいます。
それだけ早い段階から音楽と触れ合っていたわけで、家の中ではいつもクラシックが流れていたそうです。特にショパンが大好きだったとか。
5歳になると、本格的に先生について習い始めました。小学生になる頃には自分でオリジナルの曲を作って遊べるようになっていたというから、その才能の開花のスピードは驚きですよね。
ただ、小学校高学年になると「ピアノをやめたい」と言い出し、レッスンもサボりがちに。そんな娘に対して母親が取った行動が印象的です。
「唯一の取り柄なのにね、だったらもう辞めてしまいなさい」
そう言って、ピアノに鍵をかけてしまったんです。
厳しいように見えますが、これは深い愛情の裏返しだったのでしょう。
実際、中学生になった香さんは友達の前で耳コピした曲を弾いて「すごい!」と驚かれてから再びピアノへの情熱を取り戻します。母が留守の間に鍵を開けてこっそり弾くほどに。
広島の祖母も才能を見抜いていた
香さんが音楽の才能を持っていることは、広島に住む祖母も早い段階から気づいていたそうです。
小学3年生のときに1人で飛行機に乗って広島の祖母のもとへ行っていたというエピソードを先ほど紹介しましたが、そのとき祖母は「この子は将来きっと音楽で何かやるだろう」という雰囲気を感じ取っていたそうです。
母親のピアノ教育と厳しくも愛のある育て方が、のちの奥居香の音楽性の礎になっていたといえます。
母親は2003年に逝去、ブログで明かした再会の夢
父親に続き、母親とも早い別れを迎えることになった奥居香さん。
母親は2003年の桜が満開の頃に亡くなりました。
ただ、香さんが公にこの事実を明かしたのは、3年後の2006年のことでした。自身のブログに当時の心情をこう綴っています。
「私のママ。3年前の桜が満開の日に、亡くなりました。なんかさ、人は死ぬと、どこにいくんだろうね。ママが夢の中で『いつも隣で見てるしなんでも知ってるわよ!ただ、はなしかけちゃダメって規則なのよ』って言ってたけどホントかなぁ。。。」
……なんか、胸がじんわりしますよね。
夢の中でお母さんに会えた——その夢の内容をそっくりそのままブログに書く香さんの率直さと、母親への深い愛情が伝わってきます。
2003年といえば、香さんが岸谷五朗さんと結婚して7年目、長男(柚木蘭丸さん)が2歳の頃のことです。母親が孫の成長を見られなかったのが、香さんにとってどれほど残念だったことか。
子育てや音楽活動で忙しい時期に突然の別れを経験したことは、香さんの人生観や子育て観に大きな影響を与えたに違いありません。
父親・母親の両方を早くに亡くしている奥居香さんにとって、実家の家族への思いは今も変わらず深いものがあるようです。
弟は中目黒「奥居歯科」の院長・憲太郎
奥居香さんの弟は、奥居憲太郎(おくいけんたろう)さんといいます。
現在、東京都目黒区の中目黒駅から徒歩3分の場所にある「奥居歯科」の院長を務めています。
中目黒という土地柄、アパレル系の方や近隣住宅街の家族連れまで幅広い患者さんが通う歯科医院として、地域に根付いているようです。
香さんも弟のお世話になっているひとりで、2019年のブログで「いきなり食事中にインプラントの上に被せた歯が割れて、こりゃ大変!弟の奥居歯科に行ってきた」と報告しています。
姉弟の仲の良さがにじむエピソードですよね。
奥居歯科のこと
奥居歯科は2006年の開業。
院長の奥居憲太郎さんは日本歯科大学を卒業後、都内の歯科医院で約10年間の経験を積んでから独立開業しました。
診療室はすべて個室で、「怖くない治療」「痛くない治療」をモットーにしているそう。特にインプラントに力を入れており、開業当初からCTスキャンを導入していたという先進的な取り組みもあります。
余談ですが、憲太郎さんのインタビューによると幼少期に父親(祖父にあたる方)が入れ歯で苦しんでいるのを見て「大きくなったら歯科医になって自分が治してあげる」と思ったのがきっかけなのだそう。
弟の憲太郎さんは、奥居香さんと同じく「家族への強い思い」を持って自分の道を切り開いた人物といえます。
実家や生い立ちに関する世間の声
奥居香さんの実家や家族エピソードがファンや一般の方に知れ渡るにつれ、ネット上にはさまざまな声が集まっています。
父親の死について「反抗期のまま亡くなったことを後悔している」という告白に対しては、「自分も親に感謝を伝えられていない」「このエピソードを読んで親に連絡した」という共感の声が多く見られます。
また母親のピアノ教育に関しては「厳しそうに見えてじつは愛情深いお母さん」「ピアノに鍵をかけるというエピソードが逆に粋」と好意的な声が多いようです。
弟の奥居歯科については「有名人の姉がいると知らなかった」「腕のいい歯科医として地域で評判」という口コミも見られ、憲太郎院長はあくまで歯科医として自身のキャリアを着実に積み上げてきた印象があります。
実家のエピソードが広く知られるにつれ、奥居香さんへの共感や応援の声はさらに広がっているようです。
奥居香の実家を調べる人向けの関連情報
奥居香さんを取り巻く関連情報として、プリンセスプリンセス時代の経歴から岸谷五朗さんとの結婚・子供の話まで幅広くご紹介します。
プリンセスプリンセスのボーカルとしての輝かしい経歴
奥居香さんといえば、何といってもプリンセスプリンセスのボーカルとしての活躍が真っ先に浮かぶ方が多いでしょう。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1983年 | 「赤坂小町」オーディションに合格(応募総数1400人) |
| 1984年 | シングル「放課後授業」でデビュー |
| 1985年 | 「JULIAN MAMA(ジュリアン・ママ)」に改名 |
| 1986年 | 「PRINCESS PRINCESS」に改名・メジャーデビュー |
| 1988年 | 「MY WILL」がヴィクトリアCMソングに採用 |
| 1989年 | 「Diamonds」ミリオンセラー・日本有線大賞受賞・武道館ライブ |
| 1994年 | 奥居香名義でソロデビュー |
| 1996年 | プリンセスプリンセス解散 |
| 2012年 | プリンセスプリンセス再結成 |
「Diamonds」は1989年にリリースされオリコン1位・ミリオンセラーを記録し、日本有線大賞も受賞した大ヒット曲です。
同年には女性バンドとして初の武道館ライブも成功させており、まさに時代を代表するバンドになっていきました。
赤坂小町からの改名経緯
プリンセスプリンセスが今の名前になるまでには、実はいくつかの変遷がありました。
当初の名称は「赤坂小町」。1983年に奥居さんが高校2年生のときにオーディションで合格し結成されたバンドです。当時は応募総数1400人という倍率の高いオーディション。16歳の奥居さんがその狭き門を突破したわけです。
その後、事務所の移籍とともに1985年に「JULIAN MAMA(ジュリアン・ママ)」、さらに1986年に「PRINCESS PRINCESS」へと改名を重ねました。
バンド名が安定するまでの試行錯誤の期間も、今となっては彼女たちの成長の証といえます。
プリンセスプリンセスは日本の音楽シーンにおけるガールズバンドの先駆け的存在であり、奥居香さんはその中心にいたボーカル・作曲家です。
岸谷五朗との結婚の馴れ初めとユニークなプロポーズ
奥居香さんの夫は、俳優の岸谷五朗さんです。
2人の出会いは、TBSラジオの事前番組「レディオクラブ発射寸前」でした。
プリンセスプリンセスのボーカルとしてゲスト出演した奥居香さんと、DJを務める岸谷さんが番組中に激しい口論を繰り広げ、岸谷さんが「このアマ!」と放送禁止用語を発してしまうほどの険悪な雰囲気に……。
え、そんな始まり方で結婚に至るの?と驚きませんでしたか?
その後、奥居さんは同番組に度々ゲスト出演するようになり、次第にお互いの個性を認め合い、音楽や芝居の話で盛り上がる関係になっていったようです。
1996年6月28日に結婚。プリンセスプリンセスが解散した年に、新たな人生のスタートを切りました。
プロポーズも2人らしくユニーク。岸谷さんがビールを飲みながら「オレと一緒に記者会見を開きませんか?」とひと言。それに対して奥居さんが「そうしますかー」と応じたというエピソードは有名です。
派手さはないけど、2人の空気感がそのまま詰まったプロポーズですよね。
結婚後も仲良し夫婦として知られており、岸谷さんが「めちゃめちゃ料理うまいんですよ。結婚してラッキーと思ったひとつです」と香さんの料理を絶賛するほど。
最悪ともいえる出会いから一転して深い信頼関係を築いた2人の夫婦像は、多くのファンから「理想的」と評されています。
子供は息子・柚木蘭丸と娘・チビカの2人
奥居香さんと岸谷五朗さんの間には、2人の子どもがいます。
| 息子 | 娘 | |
|---|---|---|
| 愛称 | チビゴ → 柚木蘭丸(後の岸谷蘭丸) | チビカ |
| 生年 | 2001年7月7日 | 2003年 |
| 活動 | YouTuber・起業家 | アメリカ留学経験あり |
息子の柚木蘭丸さん(本名・岸谷蘭丸)は2001年7月7日生まれ。
幼少期には小児リウマチを患い学校に通えない時期もありましたが、その分本を読み漁って知識を蓄えたといいます。
中学は早稲田実業中等部に入学するも中退し、アメリカの高校へ。1日16時間の猛勉強でニュージャージー州の名門校を経て、ボッコーニ大学(経済学部の世界ランキング3位)やUCL(世界8位)などに合格するという超絶なキャリアを歩んでいます。
現在は海外大受験塾「MMBH」や留学プラットフォーム「留パス」を設立し、YouTuberとしても活動中。金髪ロン毛に口ピアスというインパクトある見た目で注目されています。
娘の「チビカ」さんは2003年生まれ。実名は公表されていませんが、香さんのブログで「チビカ」と呼ばれているのでファンの間でおなじみの存在です。アメリカに留学した経験があり、香さんが現地を訪問したエピソードも披露されています。
2人とも海外経験豊富で個性的なキャリアを歩んでいますが、その背景には香さんの「子供に自分と同じ学歴コンプレックスを持たせたくない」という熱心な教育方針があります。
学歴は名門国立附属校から高校中退の異色の道
奥居香さんの学歴は、一言で言うと「超名門校から異色の中退コース」です。
| 学歴 | 詳細 |
|---|---|
| 小学校 | 東京学芸大学附属世田谷小学校 |
| 中学校 | 東京学芸大学附属世田谷中学校 |
| 高校1校目 | 玉川聖学院高等部(中退) |
| 高校2校目 | 明治大学付属中野高等学校定時制(中退) |
| 大学 | 進学なし |
小・中学校は東京学芸大学附属世田谷校という、かなりの難関国立附属校に通っていました。
しかし中学時代はバンド活動に明け暮れて勉強はほぼゼロ。系列高校への内部進学試験にあえなく失敗してしまいます。
「人生最初の失敗はこれだ」と後に香さんが語っているほど、当時は相当落ち込んだようです。
その後、キリスト教系の女子校・玉川聖学院高等部に進学しますが、校則の厳しさが自由人の香さんには合わず……。そんな折に「赤坂小町」のメンバー募集を見つけ「これを理由に学校を辞めるかも?」と受けたところ合格。両親を説得しつつ活動をスタートさせますが、芸能活動禁止の校則に引っかかり中退することになりました。
その後、明治大学付属中野高校の定時制に編入しますが、出席日数が5〜6日足りずにここも中退。最終的に大学進学はしていません。
学歴コンプレックスと子供への教育
香さんは現在でも「学歴コンプレックスがある」と公言しています。
その経験が、子供たちへの教育に対する並外れた熱意につながりました。毎朝5時半に起きてお弁当を作り、学校や塾への送り迎えを毎日欠かさない——そんな「壮絶お受験闘争」と報道されるほどの奮闘を見せた香さん。
自分が叶えられなかった「学業での成功」を、子供たちには経験させてあげたいという親心がうかがえます。
名門国立附属校に通いながら音楽の夢を追って中退した香さんの経歴は、まさに「平凡を拒んだ人生」そのものといえます。
奥居香の実家のまとめ
- 1967年2月17日、広島県広島市生まれ。生後まもなく東京へ転居し、渋谷区広尾・目黒区都立大学エリアで育った
- 父親は滋賀県出身。奥居香が20歳の頃(1987年前後)に他界した
- 父親とは反抗期のまま別れを迎え、後にブログで「悪い関係のまま亡くならせてしまったことを後悔している」と告白している
- 母親はピアノが弾け、香さんに幼少期からピアノを教えた。家ではいつもクラシックが流れ、ショパンが特に好きだった
- 小さい頃にピアノを辞めたいと言い出した香さんに対し、母親は「唯一の取り柄なのに」とピアノに鍵をかけた
- 母親は2003年の桜が満開の頃に逝去。香さんは3年後の2006年にブログで公表し、夢の中で再会したエピソードも綴った
- 弟は東京都中目黒「奥居歯科」院長の奥居憲太郎。日本歯科大学卒業後、2006年に開業した
- 香さんは2019年のブログで弟の歯科医院に通院したことを公表しており、姉弟仲の良さがうかがえる
- 出身小中学校は東京学芸大学附属世田谷校という難関国立附属校。中学時代はバンド活動に明け暮れ、系列高校への内部進学に失敗した
- 高校は玉川聖学院高等部に進学するも、赤坂小町への加入をきっかけに中退。その後、明治大学付属中野高校定時制にも入学したが出席日数不足で再中退した
- 「学歴コンプレックスがある」と公言しており、子供たちには早稲田実業中等部などを受験させる「教育ママ」として知られる
- 夫は俳優の岸谷五朗さん。1996年6月28日に結婚し、現在も仲良し夫婦として知られる
- 子供は2001年生まれの長男(柚木蘭丸/岸谷蘭丸)と2003年生まれの長女(通称チビカ)の2人
- 息子の柚木蘭丸さんは小児リウマチを乗り越え、海外大学への進学・起業・YouTuber活動と多彩な経歴を歩んでいる
- プリンセスプリンセスのボーカルとして「Diamonds」(1989年)をミリオンセラーに導いた日本を代表する女性ロックミュージシャン

