久保木博之はラッツ&スター唯一の”完全な一般人”!合同結婚式から現在まで

久保木博之はラッツ&スター唯一の"完全な一般人"!合同結婚式から現在まで

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ラッツ&スター(シャネルズ)のトップテナーボーカルとして80年代の音楽シーンを彩った久保木博之さん。

鈴木雅之さんや田代まさしさんと同じ中学の同級生でありながら、活動休止後は芸能界と完全に決別し、一般人として静かな人生を選んだことはご存知でしたか?

2009年に田代さんのブログで「多少歳はとっちゃってたけど気持ちは熱いままの男だった」と紹介されたのが最後の近況で、今もその後の動向は謎のまま……気になる方はぜひ最後まで読んでみてください。

この記事を読むとわかること
・久保木博之さんがシャネルズ〜ラッツ&スターで果たした役割と経歴
・合同結婚式や活動休止後の現在の仕事について
・芸能復帰の可能性と田代まさしのブログで明らかになった近況

久保木博之のプロフィールと経歴:ラッツ&スターのトップテナー

80年代に一世を風靡したラッツ&スター(シャネルズ)のメンバーで、透き通るような高音ボイスで「トップテナー」を担当していた久保木博之さん。

鈴木雅之さんの圧倒的な存在感に隠れがちでしたが、ラッツ&スターのアンサンブルには欠かせない声でした。

ここでは久保木さんの生い立ちからデビュー、そして芸能界を離れるまでの経歴を詳しく見ていきましょう。

鈴木雅之と同じ中学で出会い、19歳でシャネルズを結成

久保木博之さんは1956年9月10日に東京都大田区で生まれました。

出身校は大田区立大森第八中学校で、ここで後にラッツ&スターのリードボーカルとして知られる鈴木雅之さんと同級生として出会っています。

同級生には佐藤善雄さんもいて、大田区の中学が後の伝説グループの原点になったというのは、なんとも感慨深いですよね。

高校は日体荏原高等学校(現・日本体育大学荏原高等学校)に進学。

高校時代も鈴木さんらと一緒に、ディスコなどに通いながら音楽に熱中する日々を送っていたそうです。

当時の鈴木さんは地元でも名の知れた不良だったと言われていますが、久保木さんについては特にヤンチャなエピソードは残っていません。

どちらかというとジェントルマンな雰囲気で、音楽仲間として自然につながっていた様子が伝わってきます。

高校を卒業した1975年、19歳のころに鈴木雅之さんらとシャネルズを結成します。

高校卒業後はガソリンスタンドに就職しながら、バンド活動を続けるという二足のわらじスタイルで音楽への情熱を燃やし続けました。

EastWest’77でのコンテスト入賞

シャネルズを結成してから2年後の1977年、ヤマハが主催する当時最高峰のアマチュア・バンドコンテスト「EastWest’77」に出場します。

このコンテストには後にJ-POPの礎を築くサザンオールスターズも参加していたという激戦の舞台でしたが、シャネルズは見事に決勝大会まで進出して入賞を果たしました。

プロへの扉が少しずつ開いてきた瞬間でもありましたが、このコンテストが後のデビューへの大きなステップになったことは間違いありません。

……こうして見ると、デビューは突然やってきたわけじゃなく、地道な努力の積み重ねがあったんですよね。

ランナウェイで大ヒット!シャネルズとしてデビューするまで

EastWest’77での入賞を経て、シャネルズはプロへの道を歩み始めます。

そして1980年2月25日、鈴木雅之さんや田代まさしさんらと共にシャネルズのメンバーとして正式にデビューを果たしました。

デビュー曲となった「ランナウェイ」はミリオンセラーを記録し、一躍人気グループへと駆け上がります。

顔を黒塗りにした独特のビジュアルと、ドゥーワップをベースにした洗練されたソウルサウンドが話題を呼び、日本の音楽シーンに新鮮な衝撃を与えました。

ちなみに顔を黒塗りにするアイデアは田代まさしさんが東宝映画「三匹の狸」の黒塗りパンチパーマの詐欺師を見てひらめいたものだとか。

「これで目立てる!」という発想から生まれたスタイルが、後に彼らのアイコンになるわけですから、アイデアというのはどこに転がっているかわかりませんね。

久保木さんはその中でトップテナーボーカルとして、高音パートを担当。

キャラの濃い鈴木さんや田代さんの存在感に圧倒されることも多かったかもしれませんが、久保木さんならではのクリアなハイトーンがグループのハーモニーを支えていました。

デビュー後もガソリンスタンドで働き続けた堅実な一面

デビューして人気者になった後も、しばらくはガソリンスタンドの仕事を続けていたという久保木さん。

この話、知ったときちょっとびっくりしませんでしたか?

芸能人でありながら「本業」を続けるという堅実な姿勢は、久保木さんのジェントルマンなキャラクターそのものだと感じます。

芸能界の浮き沈みを見据えながらも、地に足のついた生き方を選んでいた……そんな久保木さんの人間性が見えてくるエピソードです。

ラッツ&スターへの改名と全盛期の活躍

シャネルズとしてデビューから3年後の1983年4月1日、グループ名をラッツ&スターに改名します。

ラッツ&スターとして最初に発表した曲が「め組のひと」で、こちらも80万枚を超えるヒットを記録しました。

「め組のひと」は現在でもカラオケで愛される名曲として知られており、ラッツ&スターの代名詞的な一曲として多くの人の記憶に刻まれています。

この時期、ラッツ&スターは鈴木さん、田代さん、佐藤善雄さん、久保木さんの4人がメインボーカルとして顔を黒塗りにし、桑野信義さんや出雲亮一さん、新保清孝さんらが演奏を担当するという、最大10人の大所帯で活動していました。

それぞれが個性豊かなメンバーで、バラエティ番組でも大活躍。

グループとしての人気は絶頂期を迎えます。

出来事
1980年 シャネルズとしてデビュー「ランナウェイ」でミリオンセラー
1983年 ラッツ&スターに改名、「め組のひと」で80万枚超ヒット
1985年 メンバー5人が合同結婚式
1986年 ラッツ&スターが活動休止
1987年 「鈴木聖美 with Rats&Star」として「ロンリーチャップリン」をリリース
1996年 再集結、NHK紅白歌合戦に初出場

久保木さんは派手なアピールはしない分、グループの中では”縁の下の力持ち”的な存在だったようです。

活動休止後も完全に活動が途絶えたわけではなく、1992年7月15日にはフジテレビ系「SOUND ARENA」に緑のスーツで出演し、メドレーを披露したこともありました。

この番組は田代まさしさんが司会を務めており、同年6月24日に鈴木雅之さんがゲスト出演した際に徳光和夫さんがラッツでの出演を持ちかけ、実現したものだったそうです。

活動休止とはいえ、時折こうした形でファンの前に姿を見せていたんですね。

キャラが立ちすぎた他のメンバーたちの中にあって、久保木さんの落ち着いた佇まいは逆に隠れたファンを多く持つほど魅力的だったと言えます。

1985年の合同結婚式と活動休止

1985年、グループの活動が落ち着きを見せ始めたころ、東京・赤坂の日枝神社でメンバー5人による合同結婚式が執り行われました。

この合同結婚式はメディアでも大きく取り上げられ、当時かなり話題になったんです。

花嫁たちを引き連れてフジテレビ系「夜のヒットスタジオDELUXE」の第1回目に出演し演奏を披露するという、なんとも豪快な話題作りでもありました。

結婚した5人のうち鈴木雅之さん、田代まさしさん、桑野信義さんが含まれていたことは確認されていますが、久保木さんがこの5人に含まれていたかどうかについては、情報が明確ではありません。

ただ、その後の久保木さんが長年にわたって「一般人」として静かに暮らしていることを考えると、この結婚式を機に芸能界の喧騒から距離を置くことを決めた可能性は高いように思います。

結婚を境にメンバーそれぞれが個人の活動に重心を移していき、グループとしての活動は徐々に減少。

そして1986年ごろ、ラッツ&スターは活動休止に入ります。

1996年の再集結とNHK紅白歌合戦への初出場

活動休止から10年の時を経た1996年4月22日、ラッツ&スターはメンバーが再集結します。

ネズミ年にちなんで再始動というのも、粋な計らいを感じますよね。

このときリリースされた復活シングルは大瀧詠一さんプロデュースの「夢で逢えたら」で、ライオン株式会社の歯磨き「クリスタ」のCMソングに起用されて全国で流れることに。

さらに同年、この曲で第47回NHK紅白歌合戦に初出場を果たします。

ファンにとっては長年の夢がかなった瞬間でもあったと思います。

そして誰もが驚いたのが、10年以上一般人として暮らしていたはずの久保木さんの存在でした。

再結成に参加してくれるとは思っていなかったファンが多かった中で、久保木さんは当時と変わらぬ高音と安定感のあるダンスを披露。

「まさかの復活!」と大きな話題を呼びました。

10年のブランクを感じさせないパフォーマンスは、久保木さんが音楽への情熱を失っていなかったことを証明する最高の舞台となりました。

活動休止後の現在の仕事と一般人としての生活

1996年の再集結以降、久保木さんは再び表舞台から離れていきます。

1986年の活動休止後、久保木さんが選んだ仕事は車関係。

ガソリンスタンドで正社員として働いていた経験もあり、そういった方面でのキャリアを積んでいたとみられています。

1996年以降はラッツ&スターとしての新たな活動もなく、メディアへの出演もほとんどない状態が続いています。

ラッツ&スターのメンバー10人のうち、久保木さんだけが唯一、現在も芸能活動を一切行っていない「完全な一般人」として生活しているとされています。

2009年に田代まさしさんのブログで久保木さんとの再会が報告されたのが、現時点で最後の公な目撃情報です。

田代さんが「ラッツ&スターのメンバー、久保木との再会があった。再結成した『夢で逢えたら』以来だったが、多少歳はとっちゃってたけど気持ちは熱いままの男だった」と投稿し、ファンの間で大きな反響を呼びました。

……「気持ちは熱いままの男」。

この言葉が、久保木さんのすべてを表しているような気がして、なんだかじんわりしてしまいます。

表舞台には出なくても、音楽への情熱を胸に秘めて生き続けている——そんな久保木さんの姿が、このひと言から伝わってきます。

久保木博之を調べる人向けの関連情報

ラッツ&スターのメンバーとしての活躍を知ったあと、気になるのはやっぱり「あれこれ」ですよね。

ここでは久保木さんにまつわる気になる情報をまとめてご紹介します。

身長はどのくらいか:メンバーとの比較で推測

久保木博之さんの公式プロフィールには身長の記載がありません。

残念ながら公称身長は現時点では不明です。

ただ、ラッツ&スターのメンバーとの集合写真を見ると、久保木さんの身長をある程度推測することができます。

他のメンバーの身長と比較した場合、久保木さんはボーカルメンバーの中で最も背が低い側に位置しているとされています。

メンバー 身長
鈴木雅之 176cm
桑野信義 173cm
田代まさし 172cm
久保木博之 不明(推測:167〜169cm前後)

写真での比較からすると、久保木さんの身長は167〜169cm前後ではないかと推測されています。

ただし、これはあくまでも写真の比較から導き出された推測であり、リーゼントの髪型なども影響することから、正確な数値とは言えません。

公式の発表がない以上、確定的なことは言えませんが、ボーカルメンバーの中では比較的小柄な方だったとは言えそうです。

結婚した嫁はどんな人物か

久保木博之さんの結婚については、詳しい情報が明らかになっていません。

1985年に東京・赤坂の日枝神社でラッツ&スターのメンバー5人が合同結婚式を行ったことは有名ですが、久保木さんが実際にその5人に含まれていたかどうかも正式には確認されていないのが現状です。

確認されているのは鈴木雅之さん、田代まさしさん、桑野信義さんの3人で、残り2人のメンバーについては特定されていません。

ただ、久保木さんが長年にわたって一般人として静かに生活している様子を見ると、結婚して家庭を持ちながら普通の生活を送っている可能性は十分に考えられます。

奥さんについても一般人であるため、詳細なプロフィールなどは公表されていないのがほとんどです。

芸能界を離れた後に家庭を大切にしながら暮らしているとしたら、それはそれで久保木さんらしい生き方のように感じます。

シャネルズ・ラッツ&スター時代の代表曲と実績

久保木さんが在籍したシャネルズ〜ラッツ&スターの時代には、数多くの名曲が生まれました。

曲名 リリース年 備考
ランナウェイ 1980年 デビュー曲・ミリオンセラー
め組のひと 1983年 ラッツ&スターに改名後の最初の大ヒット曲・80万枚超
ロンリーチャップリン(鈴木聖美 with Rats&Star) 1987年 カラオケのデュエット定番曲に
夢で逢えたら 1996年 大瀧詠一プロデュース・再集結シングル

1980年にシャネルズとしてリリースした「ランナウェイ」がミリオンセラーを記録し、一気に知名度が上がりました。

1983年にラッツ&スターに改名後の「め組のひと」も80万枚超のヒットを記録し、今でも多くの人に愛されている名曲です。

また、活動休止後の1987年には鈴木雅之さんの実の姉・鈴木聖美さんのデビューをサポートする形で「鈴木聖美 with Rats&Star」として「ロンリーチャップリン」をリリース。

この曲は後にカラオケのデュエットソングの定番として長く親しまれることになります。

シャネルズ〜ラッツ&スターの音楽は時代を超えて愛され続けており、久保木さんのトップテナーボイスもその歴史の一部となっています。

田代まさしのブログで明らかになった近況

久保木博之さんの現在の様子を知る数少ない情報源として、2009年に田代まさしさんのブログに掲載された投稿があります。

田代さんは2004年に銃刀法違反と覚せい剤取締法違反で現行犯逮捕され、2008年6月に満期出所。

その翌年の2009年、出所後の近況をブログで報告する中で、久保木さんとの再会を報告したのです。

田代さんはこう書いています。

「今年忘れられない出来事のひとつに、ラッツ&スターのメンバー、久保木との再会があった。再結成した『夢で逢えたら』以来だったが、多少歳はとっちゃってたけど気持ちは熱いままの男だった」

1996年の再集結以来、実に13年ぶりの再会。

この言葉を読んで、久保木さんが「気持ちは熱いまま」だと知ったファンはどれほど感動したか。

他のメンバーが田代さんの逮捕や問題のたびにコメントを出さなくなっていた中で、久保木さんが変わらず田代さんと会って笑顔で写真を撮っていた——この事実には、なんとも言えない温かさがありますよね。

久保木さんが芸能界を離れたからこそ、メンバーとの関係を自然体で続けていられたのかもしれません。

芸能復帰の可能性はあるのか

ファンの間でも長年気になっているのが、久保木博之さんの芸能復帰の可能性です。

現時点では、久保木さんが芸能活動を再開するという情報は一切出ていません。

2009年以降は田代さんのブログ以外での目撃情報もなく、2026年現在もひっそりと一般人としての生活を送っているとみられています。

一方で、同じラッツ&スターのメンバーである桑野信義さんは2019年に「また集まってラッツを絶対にやろうという気持ちは誰よりも強い」とコメントしており、グループ全体として再始動への思いがあることは伝わっています。

また、2006年には佐藤善雄さんがゴスペラーズとコラボした「ゴスペラッツ」というアルバムをリリースしましたが、このプロジェクトには久保木さんは参加していません。

田代さんを巡るメンバー間の関係が複雑になっている事情もあり、全員集合でのラッツ&スター再始動のハードルは現実的に高いかもしれません。

ただ、2009年の田代さんのブログで「気持ちは熱いままの男」と評された久保木さんですから、完全に可能性がゼロとも言い切れないのではないでしょうか。

ファンとしては、いつかまた久保木さんのトップテナーをラッツ&スターとして聴ける日が来ることを、静かに待ち続けたいところです。

久保木博之のまとめ

  • 1956年9月10日、東京都大田区生まれ。ラッツ&スターのトップテナーボーカル担当
  • 出身校は大田区立大森第八中学校。鈴木雅之、佐藤善雄と同級生
  • 高校は日体荏原高等学校(現・日本体育大学荏原高等学校)卒業
  • 高校卒業後はガソリンスタンドに就職しながらバンド活動を並行
  • 1975年ごろ、19歳でシャネルズを結成
  • 1977年のEastWest’77コンテスト(ヤマハ主催)で決勝進出・入賞を果たした
  • 1980年2月25日、シャネルズとして「ランナウェイ」でデビュー(ミリオンセラー)
  • デビュー後もガソリンスタンドの仕事をしばらく続けていたとされる
  • 1983年4月1日、グループ名をラッツ&スターに改名。「め組のひと」が80万枚超のヒット
  • グループ内では派手さより堅実さが際立つジェントルマンなキャラクターで知られていた
  • 1985年、東京・赤坂の日枝神社でメンバー5人が合同結婚式(詳細は非公開)
  • 1986年ごろ、ラッツ&スターが活動休止。その後は車関係の仕事に転職したとされる
  • 1996年4月22日の再集結で召集され、変わらぬ高音ダンスを披露してファンを驚かせた
  • 同年、大瀧詠一プロデュース「夢で逢えたら」でNHK紅白歌合戦に初出場
  • 2009年、田代まさしのブログに「気持ちは熱いままの男」として紹介されたのが最後の近況
  • ラッツ&スターのメンバー10人のうち唯一、現在も芸能活動を一切行っていない一般人

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