浜田省吾のサングラスなしの素顔はフライデーが激写!かけ続ける理由と愛用レイバンの秘密

浜田省吾のサングラスなしの素顔はフライデーが激写!かけ続ける理由と愛用レイバンの秘密

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浜田省吾さんといえば、デビューから約50年間一度もサングラスを外さないことで知られていますよね。

その唯一の素顔が流出したのが、1987年のフライデー激写事件だったというから驚きです。

この記事では、浜田省吾さんがサングラスをかけ続ける本当の理由から、愛用レイバンの変遷、嫁や子供の話題まで気になる情報をまとめました。

この記事を読むとわかること
・浜田省吾がサングラスをかけ始めた理由と本人が語った「処世術」の真意
・フライデーに激写されたサングラスなしの素顔と事件の経緯
・愛用レイバンの変遷から嫁・子供・あいみょんとの噂の真相まで

浜田省吾のサングラスなしの素顔と貴重な画像の真相

浜田省吾さんといえば、あのサングラス姿がまず思い浮かびますよね。

デビューから約50年、一度も公の場で素顔を見せていないというのは、芸能界でもかなり珍しいスタンスです。

ここでは、サングラスをかけ始めた理由から貴重な素顔情報、そしてあの「フライデー事件」まで、気になる真相を掘り下げていきます。

サングラスをかけ始めたきっかけと本人が語った理由

浜田省吾さんがサングラスをかけ始めたのは、1970年代のデビュー前後のことです。

そのきっかけには複数のエピソードが語られています。

まず、浜田省吾さん自身が大きな影響を受けた海外アーティストの存在があります。

ボブ・ディランさん、ジョン・レノンさん、スティーヴィー・ワンダーさんといった伝説的なミュージシャンたちがサングラスをかけていた姿に憧れ、自然と自分も着用するようになったそうです。

ただ、それだけではありません。

1982年7月のインタビュー(書籍『青空のゆくえ』収録)で、サングラスをかける理由について直接質問された浜田省吾さんは、こう答えています。

「顔を覚えられたくない」

写真さえ撮られなければ外すけれど、名を成そうと思っているから、自分が自然にふるまえなくなるのが嫌だと語ったんですね。

サングラスをしていれば、外した瞬間に誰もわからない。

それを「処世術」と表現していたのが印象的です。

有名になることを目標に掲げながら、同時に匿名性を手に入れるためにサングラスをかける……なんだか矛盾しているようで、実はすごく合理的な考え方ですよね。

吉田拓郎のバックバンド時代の逸話

もうひとつ面白いエピソードがあります。

1980年1月8日放送のラジオ番組『セイ!ヤング』で、浜田省吾さんは20歳の頃を振り返っています。

当時、吉田拓郎さんのバックバンドとして活動していた浜田省吾さんは、6歳年上の拓郎さんと並ぶと自分がどうしても子供っぽく見えてしまうことに悩んでいたそうです。

そこで「甘く見られてはいけない」と考え、仲間内で「俺はサングラスをかける、お前はヒゲを伸ばせ」と決めたのがきっかけだったとか。

……なんか、いいですよね。

若さゆえの苦肉の策が、まさか50年以上続くトレードマークになるとは、本人も想像していなかったのではないでしょうか。

スティーヴィー・ワンダーとの比較

サングラスをかけ続けるミュージシャンとして、よくスティーヴィー・ワンダーさんと比較されることがあります。

ただし、両者のサングラスの意味はまったく異なります。

スティーヴィー・ワンダーさんは視覚障害があるため、実用面からの着用です。

一方、浜田省吾さんの場合はあくまで「意志」としてのサングラスなんですね。

共通しているのは、どちらも「音楽に集中させる装置」としてサングラスが機能しているという点です。

顔の表情が読み取れないからこそ、声と音楽そのものに意識が向く。

そう考えると、サングラスは単なるファッションアイテムを超えた、アーティストとしてのステートメントなのかもしれません。

素顔が確認できる貴重な初期アルバム写真

浜田省吾さんの素顔を確認できる公式資料は、実はゼロではありません。

ただし、確認できるのはかなり限られた時代の写真だけです。

まず最も有名なのが、1976年のソロデビューアルバム『生まれたところを遠く離れて』の関連資料です。

このアルバムのライナーノーツやジャケット写真には、サングラスをかけていない浜田省吾さんの姿が使用されていました。

この時期はまだサングラスが強固なトレードマークとして確立する前で、レコード会社の制作方針もあり、比較的自然体のビジュアルが採用されていたと考えられます。

また、1990年代に刊行された『浜田省吾事典』などの関連書籍には、音楽活動以前の少年時代や学生時代の写真も掲載されています。

これらは公式に編集されたファン向け資料なので、ゴシップ目的ではなく人物像を補足する文脈で紹介されているのが特徴です。

ちなみに、幼少期から学生時代にかけてはもちろんサングラスなしの素顔が公式に公表されています。

広島県竹原市で生まれ、江田島町の小学校、呉市の中学校を経て、広島県立呉三津田高校に進学した少年時代の浜田省吾さんは、ごく普通の少年だったようです。

つまり、公式に確認できるサングラスなしの素顔は、1976年のデビューアルバム前後の写真と、それ以前の学生時代の写真に限られるということですね。

それ以降、公式な場でサングラスを外した写真は一切存在しません。

フライデーに激写されたサングラスなしの姿

浜田省吾さんのサングラスなしの素顔で最も話題になったのが、1987年8月の週刊誌「フライデー」による激写事件です。

結婚10年目を迎えた浜田省吾さんが、奥さんと一緒に港区で買い物をしている姿が撮影されました。

写真に写っていた浜田省吾さんはサングラスをつけておらず、完全な素顔の状態でした。

これが、デビュー後に公になった唯一のサングラスなし写真だといわれています。

この無断掲載に対して、浜田省吾さんは強い怒りを示したと伝えられています。

ちょうどこの時期、ビートたけしさんによるフライデー襲撃事件も話題になっていましたが、浜田省吾さんはこの件について「ある人にとってはプライバシーは命をかけて守るものかもしれない」と語ったとされています。

この一件がきっかけで、浜田省吾さんはメディアとの距離をさらに広げ、公私の線引きをより明確にするようになりました。

もともとテレビ出演を極端に避けていた浜田省吾さんですが、フライデー事件以降はさらにプライバシーへのこだわりが強まったんですね。

結果として、1987年のフライデー写真が、大人になった浜田省吾さんの素顔を捉えた最後の写真となっているわけです。

正直、これを知ったときはちょっと驚きました。

あれから約40年、一切素顔が流出していないというのは、相当な徹底ぶりですよね。

愛用ブランドはレイバンのアビエーター

浜田省吾さんのサングラスといえば、やはりRay-Ban(レイバン)のアビエーターが有名です。

デビュー時から愛用しているこのモデルは、1937年にアメリカ空軍のパイロット向けにデザインされた歴史あるサングラスです。

雑誌「Begin」(2020年1月号)でも取り上げられており、ティアドロップ型のサングラスで歌う姿が浜田省吾さんのカリスマ性を確立させたと評されています。

ただし、浜田省吾さんが50年間ずっと同じモデルをかけ続けていたわけではありません。

時代によってモデルは変遷しています。

年代 愛用モデル 特徴
1970年代 レイバン アビエーター(ティアドロップ型) デビュー時から着用。パイロット向けのクラシックデザイン
1980年代中盤〜 レイバン ウェイファーラー よりカジュアルなスクエア型に変更
2000年代〜 LUMEN、その他 複数ブランドを使い分け

時代別モデルの変遷

1970年代のアビエーターは、ボブ・ディランさんやジョン・レノンさんが愛用していたこともあり、当時のロックミュージシャンにとって定番のアイテムでした。

浜田省吾さんが最初にこのモデルを選んだのも、憧れのアーティストたちの影響が大きかったのでしょう。

1980年代に入ると、ウェイファーラーというよりスクエアなデザインに切り替わります。

その後、2000年代にはLUMENやKILLER LOOPといった別ブランドのサングラスも使用するようになりました。

ちなみに、公式ライブグッズとして「本人仕様」のサングラスがAmazonで販売されています。

ファンにとっては、浜田省吾さんと同じサングラスをかけてライブに参戦できるというのは、なかなかうれしいアイテムですよね。

ライブで一瞬だけ外す特別な瞬間

ライブに行ったことがあるファンの間で語り継がれているのが、浜田省吾さんがごく稀にサングラスを外す瞬間があるということです。

アンコールだったり、照明が落ち着いたシーンだったり。

ほんの数秒のことですが、会場が一瞬ざわめくそうです。

ファンにとっては、その一瞬が「素顔を覗いたような特別な瞬間」として記憶に刻まれるわけですね。

ただし、これはあくまで一部のファンの証言であり、毎回のライブで必ず起きることではないようです。

浜田省吾さん本人がインタビューで「ステージに立つとき、サングラスは戦闘服みたいなもの」と語っているように、基本的にはライブ中もサングラスを外すことはありません。

だからこそ、万が一外す瞬間に立ち会えたら、それはファンにとって一生ものの思い出になるのかもしれませんね。

浜田省吾のサングラスなしを調べる人向けの関連情報

浜田省吾さんのサングラスなしの素顔が気になる方は、プライベートや家族のことも知りたいのではないでしょうか。

ここでは嫁や子供の話題、あいみょんとの噂、そして現在の活動状況まで、関連する情報をまとめてお伝えします。

嫁は美人OLで馴れ初めは雨の日の相合い傘

浜田省吾さんは1978年、25歳のときに年上のOL女性と結婚しています。

いわゆる「姉さん女房」ですね。

馴れ初めは、浜田省吾さんがまだ20歳だった1973年のこと。

当時、神奈川大学法学部に在学していた浜田省吾さんが、最寄り駅から2つ先の菊名駅にいたときに突然雨が降り出しました。

そこに傘がなくて困っている女性がいて、浜田省吾さんが「入りませんか?」と声をかけたのが始まりです。

……なんか、ドラマみたいなエピソードですよね。

まさに「雨」がきっかけで始まった恋だったわけです。

結婚した1978年当時、浜田省吾さんはまだミュージシャンとして芽が出ていませんでした。

1975年にバンド「愛奴」のメンバーとしてデビューしたものの売れず、1976年にソロデビューしてからも苦しい時期が続いていたんです。

印税収入が少なかったため、楽曲提供のギャラを貯めて婚約指輪や結婚式、新婚旅行の費用を捻出したそうです。

ちなみに、新婚旅行で行ったハワイが浜田省吾さんにとって初めての海外だったとか。

そして結婚翌年の1979年から、徐々にブレイクの兆しが見え始めます。

まさに奥さんが幸運を運んできたともいえるタイミングですね。

デビューアルバム裏ジャケットに嫁が写っている

奥さんの写真がほとんど出回らない浜田省吾さんですが、実は1976年リリースのデビューアルバム『生まれたところを遠く離れて』の裏ジャケットに、当時はまだ彼女だった奥さんと二人で写っているといわれています。

とても美人だと評判で、フライデー事件の際にも綺麗な奥さんの顔が掲載されていたそうです。

子供がいない理由と「I am a father」の歌詞

浜田省吾さんと奥さんの間には、子供はいません

結婚から半世紀近くが経っていますが、お子さんが誕生したという情報は一切ありません。

子宝に恵まれなかったのか、夫婦の選択としてそうしたのかは公表されていないため、詳しい事情はわかりません。

ただ、浜田省吾さんの楽曲には「I am a father」という父性をテーマにした曲があります。

このことから「実は隠し子がいるのでは?」という憶測がファンの間で出たこともありますが、これはあくまで楽曲としての表現であり、実際の家族構成とは関係ないと考えるのが自然です。

ネットで「浜田省吾 息子」と検索する人が一定数いるのも、この楽曲の存在が影響しているのかもしれませんね。

あいみょんが娘という噂の真相

「あいみょんは浜田省吾の娘なのでは?」という噂が、一時期ネット上で話題になりました。

結論からいうと、あいみょんさんと浜田省吾さんに血縁関係はまったくありません

この噂が広まったきっかけは、ある音楽評論家が「あいみょんは平成最後に浜田省吾のDNAを受け継いだ”J.GIRL”だ」と評したことにあるようです。

これはあくまで「シンガーソングライターとしての遺伝子を受け継いだ」という音楽的な意味での表現だったのですが、文脈が省略されて「娘」というワードだけが独り歩きしてしまったんですね。

実際の関係はこうです。

あいみょんさんのお父さんが浜田省吾さんの熱烈なファンで、幼い頃から家庭内で浜田省吾さんの楽曲が流れていたそうです。

あいみょんさんはその影響で自然と浜田省吾さんの音楽を吸収し、シンガーソングライターとしての素地が養われていったわけです。

のちに、あいみょんさんが浜田省吾さんの楽屋で初対面を果たした際には、感動のあまり号泣したというエピソードも伝えられています。

……これ、めちゃくちゃいい話じゃないですか。

父から娘へ、そしてその娘が憧れの本人に会えた瞬間。

血縁はなくても、音楽を通じた”親子”のような絆を感じるエピソードですよね。

身長は170cmでステージ映えする存在感

浜田省吾さんの身長は170cmです。

これは1990年に発行された公式ファンクラブの質問集「ALL ABOUT SHOGO HAMADA」に記載されている情報です。

ネット上では「167cm」という数字も出回っていますが、公式資料に基づけば170cmが正しいとされています。

日本人男性の平均身長と同程度ですが、ステージ上の浜田省吾さんは身長以上の存在感を放っています。

サングラスと革ジャン姿のスタイリッシュな佇まいが、実際の数字以上のオーラを生んでいるのでしょう。

コンサートに行ったファンの多くが「思ったより小柄だった」と感じる一方で、「歌い始めた瞬間にそんなことはどうでもよくなる」と口を揃えるのが印象的です。

現在も全国ツアーを開催し引退の予定なし

「浜田省吾」で検索すると「引退」や「死因」といった不穏なワードが出てくることがあります。

これはメディア露出が少なく、年齢を重ねたアーティストにありがちな誤解やデマが原因です。

浜田省吾さんは2025年現在も精力的に音楽活動を続けており、引退の予定は一切ありません。

2024年には全国ツアーを開催し、艶のある歌声は健在です。

同年9月12日には、71歳9ヶ月でソロアーティストによる映像3部門同時1位の最年長記録を達成しています。

本人もツアー中に「自分の人生のテーマはソングライターの旅。まだまだこの旅はしばらく続けて行こうかなと思っています」と語っています。

コンサートには親子2世代で訪れるファンも多く、世代を超えて愛され続ける存在であることがわかります。

1952年12月29日生まれで現在73歳の浜田省吾さんですが、その活動ペースはまだまだ衰える気配がありません。

年齢 主な出来事
1976年 24歳 ソロデビュー「路地裏の少年」
1983年 31歳 初の野外コンサート開催
1992年 40歳 「悲しみは雪のように」CD売上170万枚
2006年 53歳 ソロデビュー35周年
2016年 64歳 ソロデビュー40周年
2021年 69歳 デジタルシングルリリース
2023年 71歳 写真集リリース
2024年 72歳 全国ツアー開催・映像最年長記録達成

浜田省吾のサングラスなしのまとめ

  • 浜田省吾はデビュー以来約50年間、公の場でサングラスを外したことがない
  • サングラスをかけ始めたきっかけはボブ・ディランやジョン・レノンなど海外アーティストへの憧れ
  • 本人は1982年のインタビューで「顔を覚えられたくない」「処世術」と理由を語っている
  • 吉田拓郎のバックバンド時代に「甘く見られないため」に着用し始めたという逸話もある
  • 素顔が確認できる公式写真は1976年のデビューアルバム関連資料と学生時代の写真に限られる
  • 1987年8月に週刊誌フライデーがサングラスなしの素顔と嫁との買い物姿を激写した
  • フライデーの無断掲載に浜田省吾は強い怒りを示し、以後さらにメディアとの距離を広げた
  • 愛用サングラスのブランドはRay-Ban(レイバン)で、デビュー時からアビエーターを着用
  • 時代によりウェイファーラーやLUMENなど複数のモデル・ブランドに変遷している
  • 1978年に25歳で年上のOL女性と結婚。馴れ初めは雨の日の菊名駅での相合い傘
  • 子供はおらず、「I am a father」の歌詞から息子がいるという噂が出たが事実ではない
  • あいみょんが娘という噂は音楽評論家の比喩表現が誤解されたもので血縁関係はない
  • 身長は公式ファンクラブ資料によると170cm
  • 2024年も全国ツアーを開催し、71歳で映像3部門同時1位の最年長記録を達成
  • 引退の予定はなく「ソングライターの旅はまだまだ続ける」と本人が明言している

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