平野紫耀さんの中学校時代をご存知ですか?
卒業式に紫の特攻服を着て現れ、在学中にはオーディションなしでジャニーズに入所——知れば知るほど「そりゃ今の平野さんができ上がるわ」と思わずうなずいてしまうエピソードが盛りだくさんです。
この記事では、平野さんが過ごした名古屋市立大森中学校の基本情報から、バドミントン部の活躍、BOYS AND MEN参加、恩師との出会い、そして伝説のモテエピソードまで、丸ごとお届けします。
・平野紫耀さんが通っていた中学校の名前と所在地
・バドミントン部退部からジャニーズ無オーディション入所までの流れ
・銀髪・短ラン・特攻服……中学時代のやんちゃエピソードの真相
平野紫耀の中学校は名古屋市立大森中学校
平野紫耀さんといえば、Number_iのメンバーとして今や世界を股にかける存在ですよね。
そんな平野さんが10代を過ごした名古屋の中学校について、エピソードたっぷりでご紹介します。
大森中学校の基本情報と学校の特徴
平野紫耀さんが通っていた中学校は、名古屋市立大森中学校です。
愛知県名古屋市守山区大森に位置する公立の中学校で、最寄り駅は名古屋鉄道(名鉄)瀬戸線の大森駅。
平野さんは2009年4月に入学し、2012年3月に卒業しています。
公立校ですので偏差値の設定はありませんが、地域のなかではわりと落ち着いた雰囲気の学校として知られていたそうです。
平野さんは小学生の頃からダンスと芸能活動をバリバリやっていた子でしたが、中学でもその明るさは変わらず。
「とにかく明るい」「リーダー気質がある」とまわりから言われていたそうで、クラスでも中心的な存在のムードメーカーだったとか。
先生や友人からの信頼も厚く、クラスの雰囲気を一気に盛り上げてしまうような存在だったみたいです。
のちにジャニーズ事務所に入所することになる平野さんの素地は、この名古屋の公立中学校で育まれたと言っていいでしょう。
大森中学校の所在地・アクセス
所在地は愛知県名古屋市守山区大森1丁目2601、最寄り駅は大森駅(名古屋鉄道瀬戸線)です。
名古屋の東側、守山区にある地元の公立校。
平野さんは小学校も同じ大森エリア(名古屋市立大森北小学校)出身なので、生まれてからずっと大森の地で育ったことがわかりますね。
バドミントン部で県大会優勝した抜群の運動神経
中学校に入学した平野さんが最初に所属したのが、バドミントン部です。
幼少期からダンスや水泳など体を動かすことが大好きで、小学生時代にはバドミントンで愛知県大会を制したこともある実力者。
その経験を引っ提げてバドミントン部に入部した平野さんは、入部後も「すでに県大会で優勝するほどの実力者」と評されるほど頭ひとつ抜けていたといいます。
2021年にテレビ番組『King & Prince MEDAL RUSH』でテニスに初挑戦した際も、「小学生の時にバドミントンで愛知の県大会で優勝した経験をもつ」とORICONニュースが紹介しているほど、そのバドミントンの腕前は本物でした。
シャトルを打ち返す瞬間の集中力や反射神経は、後のアクロバットダンスにも通じていそうですよね。
運動神経という意味では、平野さんは中学時代からすでに同世代のレベルをはるかに超えていたのです。
ところがそんな平野さん、中学2年生になると突然バドミントンを辞めてしまいます。
その理由は次のH3で詳しくお話しします。
中学2年でダンスとBOYS AND MENへ転向
バドミントンを辞めた理由は、シンプルでした。
「もっと自分を表現したい」という強い衝動が芽生えたからです。
平野さんは中学1年生の頃から、名古屋のローカル男性アイドルグループ「BOYS AND MEN(ボイメン)」の前身プロジェクトに参加していました。
もともとセントラルジャパンという名古屋の芸能事務所に所属していた平野さんは、同事務所の仲間たちと2010年4月からBOYS AND MENの活動をスタート。
舞台公演や地域イベントに出演しながら、ステージの上で観客の反応を肌で感じることを覚えていったそうです。
その中で確信した——「これだ」という感覚。
ダンスと表現の世界に骨を埋める覚悟ができた平野さんは、中学2年でバドミントン部を退部し、ダンスとBOYS AND MENの活動に集中する道を選びます。
BOYS AND MENでの活動は、2010年4月から2011年頃まで続きましたが、その後脱退。
本人が公の場でBOYS AND MEN時代についてほとんど語らないこともあり、一部では「黒歴史なのでは?」という声もありますが、実際のところは本人のみが知るところでしょう。
それよりも注目したいのは、この中学時代の「ダンスへの転向」という決断。
10代前半にして自分の道を決断し、スパっと変えられるこの思い切りのよさが、平野さんの今日の成功を支える原動力になっているように感じます。
ジャニーズ入所のきっかけとオーディション不要の理由
中学3年生になった平野さんに、大きな転機が訪れます。
2012年2月、ジャニーズ事務所に入所します。
驚くべきはその方法で、一般的なオーディションを経ていないのです。
では、どうして?
きっかけは、ダンススクールの合宿でした。
上京した際に、光GENJIや少年隊の振付で知られるボビー吉野さんのレッスンを受けることになった平野さん。
そのレッスンの場で、ボビー吉野さんを通じてジャニーズ事務所の当時の社長・ジャニー喜多川さんと引き合わされたのです。
才能を目の当たりにしたジャニーさんが直接引き入れた、というわけですね。
これはもう、平野さんの持つオーラと実力が認められた証といえるでしょう。
中学校の卒業式直前の2月のことで、在学中にジャニーズ入りを果たしたことになります。
ボビー吉野との出会いと入所経緯
ジャニー喜多川さんとの出会いを取り持ったボビー吉野さんは、ジャニーズのダンスを長年支えてきたレジェンド的な振付師。
光GENJIや少年隊を始め、数々のジャニーズタレントを指導してきた人物です。
そのボビー吉野さんのレッスンで、平野さんの動きが目に止まった——その一瞬が、平野紫耀という存在を全国区にする第一歩だったわけです。
なんか、映画みたいな話ですよね。
関西ジャニーズJr.を選んだ向上心の高さ
ジャニーズ入所後、平野さんには東京か関西かの選択が与えられたといいます。
「東京はすぐに活動できる可能性が高い。
関西はそれに比べて表舞台での活動が限られる」
そう説明を受けたにもかかわらず、平野さんが選んだのは関西ジャニーズJr.でした。
理由は、「人前に多く出るようになる前にダンスのスキルを磨きたい」というものだったそう。
即戦力より自己研鑽を選ぶ——この判断、正直ちょっとしびれませんか。
関西ジャニーズJr.内では「Kin Kan(キンカン)」というユニットに選ばれ、向井康二さん・金内柊真さんとともに活動。
高校在学中には主演ドラマ『SHARK』や映画『忍ジャニ参上!未来への戦い』に出演し、その名を一気に広めることになります。
「今すぐ目立つ」より「本物の力を磨く」ことを選んだ中学卒業直前の決断が、その後のキャリアのすべての基盤になったと言えます。
平野紫耀の中学校を調べる人向けの関連情報
平野紫耀さんの中学時代を調べていると、勉強になるのはヤンキーエピソードだけじゃないんですよね。
モテ話や恩師との出会いなど、知れば知るほど「そりゃ今の平野さんができ上がるわ」と納得するエピソードが盛りだくさんです。
卒業式の紫の特攻服と卒アル写真の真相
平野さんの中学時代でいちばん有名なのが、この写真じゃないでしょうか。
中学の卒業式に、紫色の特攻服を着て仲間たちと並んで写真に収まっているそのビジュアル。
この写真がネット上に出回ったことで、「平野さんって元ヤンなの?」という噂が広まりました。
でも実際のところはどうなのか。
本人によると、紫色にしたのは「自分の名前に”紫”が入っているから」だそう。
それにそもそも、名古屋では中学や高校の卒業式に特攻服を着る文化が根付いているという背景もあって、特段ヤンキー的な意味合いがあったわけではないようです。
また、よく見るとその特攻服にはシワがなく、新品のように見えるとの指摘もあります。
「卒業式のために用意した記念衣装」という可能性が高そうです。
卒アルの写真については、黒髪さわやかな仕上がりだったと複数ソースが伝えています。
銀髪にしていた時期でも、学校側から写真撮影前には黒く戻すよう指示されていたとか。
卒アルの平野さんはきっとキリっとした好青年に映っているはずですよ。
元ヤン説の真偽
一方、「元ヤンだった」という情報がまったくの誤りかというと、そうとも言い切れません。
平野さん本人が、中学時代の自分を振り返ってこんなことを語っています。
「中3で人生の師に出会う前は、学校が嫌いだった」
——つまり、荒れていた時期が確かにあったことは、本人も認めているわけです。
さらに、2018年11月の「今夜くらべてみました」では、お母さんが元ヤンキーだったことを本人が暴露。
幼少期の写真は豹柄のTシャツにサングラス、長めの襟足という衝撃的なファッションで、「ヤンキーの子はヤンキー」という文脈で語られることもありました。
とはいえ、ダンスや芸能活動で放課後がびっしり埋まっていた平野さんが、いわゆる「本格的なヤンキー」行動をする時間があったかというと、現実的に考えると難しい気がしますよね。
見た目のインパクトは強烈でも、「ヤンキー文化を楽しんでいた不良っぽい優等生」という表現が最も実態に近いのかもしれません。
中3で7回ブリーチした銀髪と短ランのヤンキーエピソード
それでもやっぱり、平野さんの中学時代はなかなかに強烈です。
Mr.KING写真集「DREAM KINGDOM」で本人が告白しているのですが、
「中3で銀髪になる。
1回じゃ染まらないから、7回ブリーチして、シルバーを3回入れた」
頭が禿げるくらい痛かったと語っていたそう。
中学3年生で銀髪ってかなり攻めていますよね。
茶髪や金髪にしている子はいても、シルバーはなかなかいない。
しかもそれを7回ブリーチで実現しようとする根性も含めて、平野さんらしいというか……(笑)。
制服についても、入学時に親に買ってもらった大きめの学ランはほぼ着ず、自分で購入した短ランで登校していたと明かしています。
これもDREAM KINGDOMでの告白です。
「でかくなるつもりで買った学ランは、ほとんど着ず。
自分で買った短ラン着て登校してた(笑)」
読んでいてつい笑ってしまいましたが、中学時代のやんちゃぶりを笑って話せる今の平野さんがいるというのが、なんか素敵だなとも思います。
ちなみに、幼少期の平野さんは骨折を7回経験しているほどのアクティブボーイで、「悟空体質」と自称するほど。
高いところから飛び降りたり、自転車で崖からダイブしたり、川にダイブしたり、電柱にパンチしたりと、エピソードに事欠きません。
中学2年生のときには、返し忘れた牛乳瓶を返そうと配達トラックの荷台に飛び乗り、気づかれないまま隣町まで行ってしまったというエピソードも。
……自由すぎる少年だったんですね(笑)。
入学式から始まった中学時代のモテエピソード
平野さんといえばモテエピソードも豊富です。
本人は「全然モテなかった」「中高で女の子と10回しゃべったかしゃべってないかくらい」と謙遜しますが、実際のエピソードはそれとは真逆の世界線が展開されています。
中学の入学式の日から、なんと先輩女子に名前が知れ渡っていて。
下駄箱では数人に囲まれ、階段を上がるたびに「紫耀く〜ん!」と声をかけられ——入学初日からアイドル扱い。
先輩がいれば下の学年に顔が広まることはよくありますが、平野さんは長男なので兄弟の縁がない中での快挙です。
それだけ噂になるルックスと雰囲気を持っていたということなんでしょうね。
卒業文集では「3年間モテたランキング」が作られ、平野さんは2位にランクイン。
1位はボーイッシュな女子だったそうで(そういう子は同性からの票が入りやすいですからね)、高橋海人さんに「それは入れやすいから入れるよね。だから紫耀が1位だよ」と言わしめています(TVガイド2017.7.8より)。
座る席は「窓際の一番後ろを強奪」していたというエピソードも。
カーテンに隠れて寝るためだとか(笑)。
廊下側の後ろも好きで「すぐ出られるからいいよね」とのこと——これ、いかにも1軍男子って感じがして、ちょっとおかしいですよね。
第二ボタンを渡した幼馴染のエピソード
卒業式のエピソードで、もうひとつ忘れられないのがこれです。
制服の第二ボタンを、近所の幼馴染の女の子にあげた話。
卒業式の日、学ランごと盗まれるというハプニング(着替え中に紛失し、後から「私が盗みました」と告白があった)がありながらも、平野さんは自らの意志で第二ボタンを幼馴染に渡したそうです。
一説によると、その幼馴染の女の子は、平野さんが中学時代に告白した初恋の相手だったとも言われています。
学校一のモテ男のボタンを女子たちが虎視眈々と狙う中、当の平野さんは特定の幼馴染にさらっとボタンを渡す——なんというか、少女漫画みたいな話ですよね。
さらっとかっこいいことができる人なんだろうなというのが、中学時代の平野さんのエピソードを読んでいるとひしひし伝わってきます。
中学時代に学校が嫌いだった時期と恩師との出会い
意外に思う方もいるかもしれませんが、平野さんは中学時代に「学校が嫌いだった」時期があったと語っています。
Mr.KING写真集「DREAM KINGDOM」でのこと、平野さんはこんな言葉を残しています。
「中3で人生の師に出会う。
担任だった先生は、関西出身でノリもよくて、当時学校が嫌いだった俺と、しっかり向き合ってくれた」
学校が嫌いだった理由については詳しく語られていませんが、芸能活動でほぼ毎日外の世界を動き回っていた平野さんにとって、授業に縛られる時間が窮屈だったのかもしれません。
あるいは、自分のペースで生きる平野さんが校内のルールや雰囲気と合わない部分があったのかも。
そんな平野さんの気持ちに、ちゃんと向き合ってくれた担任の先生。
関西出身でノリがよかったというのも、平野さんにとってはフィーリングが合いやすかったのかもしれませんね。
不良ドラマに出てきそうなエピソードですが、こういう「真正面からぶつかってくれる大人」との出会いが、人の人生を変えることって本当にあると思います。
その先生との出会いが、ジャニーズ入所後の平野さんの「真面目にダンスと向き合う姿勢」に少なからず影響を与えていたのではないでしょうか。
出身小学校と芸能活動の原点
平野さんの芸能の原点をたどると、大森中学校の前の小学校時代に行き着きます。
出身小学校は名古屋市立大森北小学校です。
なんと小学1年生からダンスを習い始め、地元の芸能事務所セントラルジャパンに所属して子役モデルとして活動をスタート。
地元の塾やスーパーのチラシ、家庭科の授業で使うエプロンのチラシにモデルとして登場していたそうです。
そして伝説的なのが、小学4年生のバレンタインデーに、チョコレートを64個もらったというエピソード。
その64個を全部フライパンで溶かして1つの大きなチョコにしようとしたという話もあって——中学時代と同じく、型にはまらない自由な発想がこの頃からにじみ出ています(笑)。
バドミントンは小学4年生で始め、翌年には愛知県大会で優勝。
ダンスに水泳、バドミントン……あらゆる分野で突き抜けたエピソードを残してきた平野さんのベースは、大森の小学校で形成されたんですね。
Number_iとして世界を目指す現在
中学時代の「自分を表現したい」という衝動から始まった芸能の道は、今も止まる気配がありません。
King & Princeとして2018年にCDデビューし、「シンデレラガール」で一躍全国区に。
2023年にはグループを離れ、滝沢秀明さんが立ち上げたTOBEに移籍。
神宮寺勇太さん・岸優太さんとともにNumber_i(ナンバーアイ)を結成し、国内外で新たな旋風を巻き起こしています。
英語についても、バラエティでの天然発言のイメージがある一方、ドラマ「クロサギ」では流暢な英語の発音を披露して関係者に驚かれたことも。
世界進出を見据えて英会話スクールにも通っているといいます。
大森中学校の廊下を短ランで歩いていた少年が、今や世界を見据えている。
中学時代に「もっと表現したい」と感じた気持ちは、今も平野さんの中で変わらず生き続けているのでしょう。
平野紫耀の中学校のまとめ
- 平野紫耀の出身中学校は名古屋市立大森中学校(愛知県名古屋市守山区)
- 在籍期間は2009年4月〜2012年3月
- 中学時代は「明るい」「リーダー気質」でクラスの中心的存在だった
- バドミントン部に所属し、中学2年でダンスへの転向を決意して退部
- バドミントンの県大会優勝はORICONによると小学生の時
- 中学1年(2010年)からBOYS AND MENの前身プロジェクトに参加、2011年に脱退
- 中学3年時に銀髪(7回ブリーチ)にしたことを写真集で告白
- 短ランを自分で購入して登校していた
- 中学の卒業式では紫の特攻服を着用(名前の「紫」にちなむ)
- 卒アルの写真は黒髪さわやかな仕上がり
- 入学式から先輩女子に名前を知られていた爆モテエピソードあり
- 卒業文集のモテランキング2位に輝いた
- 卒業式当日に学ランごと盗まれるハプニング
- 第二ボタンを近所の幼馴染(初恋相手とも)に渡した
- 中3で担任の恩師と出会い、「学校が嫌いだった」時期を乗り越えた
- 2012年2月にオーディションなしでジャニーズ入所(ボビー吉野を通じてジャニー喜多川と出会う)
- 関西ジャニーズJr.を選んだ理由は「先にダンスを磨きたかったから」
- 現在はNumber_iのメンバーとして世界進出を目指している

