関口メンディーさんの父親についてが気になって調べている方、多いのではないでしょうか。
「父親はどんな人なの?」「行方不明って本当?」——そんな疑問を抱えている方に向けて、父親との別れの経緯や、「生きているかもわからない」という衝撃の告白の背景を、家族エピソードとともに詳しく解説していきます。
実は幼少期のメンディーさんには、差別を乗り越えた感動のエピソードや、祖父との心温まるエピソードもあって、知れば知るほど彼のことが好きになると思いますよ。
・関口メンディーの父親がナイジェリア人で、なぜ行方不明と噂されるのかの真相
・両親の離婚後に「生きているかもわからない」と告白した経緯と背景
・母方の祖父が資産家だった事実と、母親の関口由美さんとの家族エピソード
関口メンディーの父親はナイジェリア人!離婚後に行方不明と噂の真相
関口メンディーさんの父親についてが気になって調べている方、けっこう多いんじゃないかと思います。
「父親がどんな人なのか」「行方不明ってどういうことなの?」というあたりを、情報をまとめながら詳しく解説していきます。
父親はナイジェリア出身で名前・職業は不明
関口メンディーさんのお父さんは、ナイジェリア出身の男性です。
日本人の母親とナイジェリア人の父親のあいだに生まれた関口メンディーさんは、いわゆる「ハーフ」。
アメリカ合衆国ニュージャージー州で誕生したあと、1歳のころに母親とともに日本に渡っています。
父親の名前・年齢・職業については、現在に至るまで公表されていません。
わかっているのは「ナイジェリア国籍であること」「アメリカに住んでいたこと」、そして「離婚当時のスーツ姿の写真が残っていること」くらいで、その先の詳細はほとんど謎のままです。
以前、バラエティ番組「世界仰天ニュース」にメンディーさんが出演した際、幼少期のエピソードとともにお父さんが写っている写真が紹介されました。
そこに映っていたのはグレーのスーツをびしっと着こなした男性の姿。
写真だけを見ると「ちゃんとした仕事をしていた人なんだな」という印象を受けますよね。
つまり父親がどんな人物かについては、ナイジェリア出身でアメリカ在住だったという事実以外はほとんど公開されていないのが現状です。
父親の容姿・スーツ姿の画像(世界仰天ニュース)
番組で紹介された父親の写真は、幼少期の関口メンディーさんが父親に抱っこされているものだったそうです。
メンディーさん本人が後にインタビューで「黒人の父に似ず、元は色白だった」と語っているように、当時の写真からも2人が親子だと実感できるような、愛情あふれる一場面でした。
両親は小学1年生の頃に離婚していた
関口メンディーさんの両親は、メンディーさんが小学1年生(7歳ごろ)の時に離婚しています。
離婚の詳しい経緯や理由については公表されていませんが、離婚後は母親が一人で息子を育てることになりました。
父親はアメリカに残り、母親と幼いメンディーさんは日本(東京都品川区)で生活を続けることになります。
1991年生まれのメンディーさんが小学1年生ということは、離婚は1997〜1998年頃のこと。
その後は父親と連絡をとることもほぼなくなり、幼少期の記憶はごくわずかだと思われます。
母子家庭になったあとも、メンディーさんは母親と二人でたくましく暮らしていきます。
後述しますが、母方の祖父が裕福だったこともあり、経済的に極端に困窮することはなかったようです。
でも、ただでさえ外見で目立ってしまう環境の中、父親のいない家庭で育ったことは、やはりメンディーさんの心に影響を与えていたはずです。
両親の離婚はメンディーさんが小学1年生の頃で、その後は母子家庭として母親と祖父の力を借りながら東京・品川区で成長していきました。
父親とはほぼ会えず「生きているかもわからない」と告白
関口メンディーさんが父親について公の場で語ったのは、2024年5月1日に行われたLDH退社・グループ卒業の記者会見でのことでした。
その場でメンディーさんはこう語っています。
「両親は小学校1年生のころに離婚をしていて、母子家庭で育ちました。父とはそれ以来ほとんど会っていなくて正直、生きているかもわからない状態です」
これを聞いた多くのファンや視聴者が、驚きと同時に胸を締め付けられるような感覚を覚えたのではないでしょうか。
「生きているかもわからない」という言葉は、軽い表現ではなく、リアルにそういった状況であるということを、メンディーさん自身が率直に打ち明けた言葉です。
長年お父さんとの接点がなく、連絡手段もなく、現在どこで何をしているのかすら把握できていない。
記者会見という正式な場でこの言葉が出たとき、会場にいた人たちも一瞬静まり返ったことでしょう。
読んでいて、なんとも言えない気持ちになりますよね…。
それでもメンディーさんは、暗い表情でこれを語るのではなく、自分のルーツと向き合いながら前を向いて歩んできた人です。
この告白も、自分自身のバックグラウンドをありのままに話せる、メンディーさんの強さだと感じます。
父親とは離婚以来ほぼ連絡がなく、2024年の会見で「生きているかもわからない」と本人が率直に明かしています。
行方不明の噂は本当か?居場所不明との違い
ネット上では「関口メンディー 父親 行方不明」という検索ワードが飛び交っていて、父親が本当に行方不明なのかが気になっている方も多いようです。
結論からいうと、父親が「行方不明」というのは厳密には噂の域を出ていません。
「行方不明」という言葉は一般的に、警察が捜索に動くような「本当に消えてしまった」状態を指します。
一方、関口メンディーさんの父親については「居場所がわからない」「連絡をとっていない」というのが正確な表現です。
どこかで元気に生活しているかもしれないし、メンディーさんの母親は父親の連絡先を知っているかもしれない。
でも少なくともメンディーさん本人は、父親がどこにいるのかを知らない状態にある、ということです。
なぜ「行方不明」と言われるようになったか
この誤解が広まったのにはいくつかの理由が考えられます。
まず、メンディーさんが「生きているかもわからない」という言葉を使ったこと。
これ自体はとても率直な表現ですが、受け取る人によっては「行方不明」に近いニュアンスに聞こえたかもしれません。
また、メンディーさんが1歳のころに両親が別れているため、そもそも父親についての情報がほとんど出てこないこと。
公式サイトやプロフィールに父親の情報が載っているわけでもないので、「謎の人物」という印象が積み重なって「行方不明」という言葉と結びついていったのではないでしょうか。
父親が「行方不明」というのは正確ではなく、「離婚後に連絡が途絶え、居場所を把握していない状態」というのが実態に近いと思われます。
父親への憧れから日焼けサロンへ通っていた
関口メンディーさんが父親について語ったエピソードのなかで、個人的にとても好きなものがあります。
それは、父親に憧れて日焼けサロンに通っていた、というエピソードです。
メンディーさんは実はもともと色白。
外見はナイジェリア人のお父さんよりも、日本人のお母さん寄りなんだそうです。
それでも「黒人である父に近づきたい」「父のような肌になりたい」という思いから、ダンスを本格的に始めたころから熱心に日焼けサロンに通うようになりました。
本人が語っています。
「黒人に憧れてるんで、ダンスやり始めてから(日焼けサロンに)足繁く通ってる。僕が行くと店員さんもクスッとなる」
この言葉、なんかいいですよね。
ほとんど記憶にないお父さんの姿に近づこうとする姿は、どこか切なさもあるんですが、それ以上にメンディーさんの愛嬌と純粋さが伝わってくる気がします。
幼少期の写真として、お父さんに抱っこされているシーンも番組で紹介されたそうです。
幼いメンディーさんが大きな腕に包まれているその写真は、たった1枚でも父と子のつながりをちゃんと感じさせてくれるものだったのではないでしょうか。
父親との記憶はほとんど残っていなくても、メンディーさんの中に「父親への憧れ」という感情がずっと残っていたことが、このエピソードからよく伝わります。
父親に対する世間の声
関口メンディーさんの父親に関する話題は、2024年のLDH卒業発表で一気に注目が集まりました。
ファンをはじめ、多くの人がメンディーさんの家族についての告白に対して様々な言葉を残しています。
主な反応をまとめると、次のようなものが見られます。
| 声の傾向 | 主な内容 |
|---|---|
| 驚き・感動 | 「こんな背景があったとは知らなかった」「会見でこんな話をしてくれるとは思っていなかった」 |
| 共感・応援 | 「母子家庭で育ったって、それだけで十分すごい」「お母さんとの絆が本当に素敵」 |
| 切なさ・同情 | 「生きているかもわからないって言葉、重すぎて…」「父親と会えないまま大人になるってどんな気持ちだろう」 |
| 再会願望 | 「いつかお父さんと再会してほしい」「世界で活躍するメンディーさんが父に認められてほしい」 |
特に「いつか親子が再会してほしい」という声は多く、メンディーさんのファンにとっても、父親の話は他人事ではない感情的なテーマになっているようです。
また、メンディーさんが退社の際に「偉大な父の背中に近づき越えていくことこそが、僕が考える親孝行のカタチ」とコメントしたことも話題になりました。
ここでいう「偉大な父」が実の父親を指しているのか、LDHのHIROさんをはじめとする先輩たちを指しているのかは諸説ありますが、いずれにしても「父への思い」がこの決断の背景にあったことは間違いなさそうです。
メンディーさんの父親に関するエピソードは多くの人の心を動かし、「いつか父と再会してほしい」という声がファンの間で広まっています。
関口メンディーの父親を調べる人向けの関連情報
父親のことを調べているうちに、関口メンディーさんの家族全体のことが気になってきた方も多いはず。
ここでは、祖父・国籍・生い立ち・実家・母親といった関連情報をまとめてお届けします。
祖父は山中湖の別荘とクルーザーを持つお金持ち
父親不在の環境で育ったメンディーさんにとって、母方の祖父は非常に大きな存在でした。
この祖父がかなりの資産家で、山中湖畔に別荘を所有し、クルーザーも持っていたというエピソードが、バラエティ番組「世界仰天ニュース」の放送で紹介されて話題になりました。
別荘の維持費も相当なものですが、クルーザーとなると購入費だけで数千万円〜億単位になることもある高級品です。
これほどの資産を持つ祖父がいたとなれば、母子家庭とはいえ経済的に厳しい状況とは程遠い環境で育ったということがよくわかります。
メンディーさん自身も、祖父との思い出をInstagramにたびたびアップしています。
「Happy new year trip。おじいちゃんとお母さんと旅行に行ってきました。2人とも元気そうで何より。小さい頃からおじいちゃんには色々なところに連れていってもらいました!夏はウェイクボード、冬はスキーやスノボ。中々会えていませんでしたがまたこうして一緒に旅行ができて、凄く嬉しかったです。2人とも健康で長生きしてください」
このコメントからも、祖父とメンディーさんの間に深い絆があったことが伝わってきますよね。
父親不在の幼少期に、祖父がさまざまな経験を積ませてくれたことは、メンディーさんの人格形成にも大きな影響を与えたはずです。
後年、メンディーさんが公の場で車いすに乗った祖父を押す写真をインスタに載せていたこともあり、その親孝行な姿が「優男すぎる」とファンの間で話題になりました。
母方の祖父は山中湖の別荘やクルーザーを所有する裕福な人物で、父親代わりのような存在として幼いメンディーさんに多くの経験を与えた方です。
国籍は日本、出身はアメリカのニュージャージー州
関口メンディーさんの出生地はアメリカ合衆国ニュージャージー州です。
日本人の母とナイジェリア人の父の間に生まれ、幼少期はアメリカで過ごしました。
ただし1歳のころに母親と日本に渡っているため、実質的にアメリカで生活した期間はほんのわずか。
物心ついたときにはすでに東京・品川区での暮らしが始まっていたわけです。
国籍については、現在は日本国籍を選択しています。
アメリカ生まれという経歴から「英語が流暢なんじゃないか」と思っている人も多いようですが、実際には英語がほとんど話せなかったことは本人も公言しています。
「ずっと『メンディーはこの見た目で英語が話せない』というキャラでやってきた」とバラエティでも笑いのネタになっていましたね。
ただ近年は状況が変わっており、オンライン英会話を活用しながら英語の勉強に真剣に取り組んでいることを明かしています。
LDH卒業後に「日本と世界の架け橋」を目指す活動をしていくにあたって、英語力は欠かせないスキルになっていきますから、力を入れているのは自然な流れですよね。
出生地はアメリカのニュージャージー州ですが、1歳から日本で暮らしており国籍も日本。見た目の印象に反して英語は苦手でしたが、近年は猛勉強中です。
生い立ちは差別を乗り越えた感動のエピソード
関口メンディーさんの生い立ちには、胸を打つエピソードがいくつもあります。
アメリカ生まれで、外見が明らかに日本人離れしているメンディーさんは、小学生のころから周囲の子どもたちとの違いを意識させられる場面がありました。
小学2年生のとき、上級生から肌の色などの見た目について差別的な言葉を言われ、落ち込んで泣いていたというエピソードが知られています。
そのとき、声をかけてくれた先生の言葉がメンディーさんの心を救いました。
先生の言葉が心の支えになった
先生はこう言ったそうです。
「あなたはハーフという存在で私が憧れるような存在。アメリカにはマイケルジャクソンというヒップホップのキングがいて私は大ファン。そのマイケルジャクソンと同じ血が流れているあなたがうらやましい。あなたはそのままでいいのよ」
……この先生の言葉、本当にすごいですよね。
泣いている子どもに対して「大丈夫」と慰めるのではなく、その子の「違い」を誇れるものとして伝え直してくれる。
この経験以降、メンディーさんは自分のルーツを誇りに思えるようになったといいます。
その後メンディーさんは野球に打ち込み、都の大会で準優勝するほどの活躍を見せます。
中学・高校でも野球を続け、スポーツ推薦で郁文館高校へ進学。
高校では三塁手として活躍したほか、芸人を目指してネタを作っていた時期もありました。
大学は日本体育大学に進学し、そこでダンスに出会います。
ダンスサークル「Cypher Heads Fam」に入部したのをきっかけに、次第にダンスに傾倒していきました。
2011年にGENERATIONSの候補メンバーとして活動を開始し、翌2012年に正式メンバー、2013年にはメジャーデビューを果たしています。
差別と向き合いながらも先生の言葉に救われたメンディーさんは、野球・お笑い・ダンスと様々な道を経て、芸能界での地位を確立していきました。
実家は東京都品川区で母子家庭で育った
関口メンディーさんの実家は東京都品川区にあります。
1歳から母親とともに品川区に移り住み、以降ずっとこの地で育ちました。
通っていた小学校・中学校も品川区立の学校(鈴ヶ森小学校・鈴ヶ森中学校)です。
高校は野球のスポーツ推薦で私立の郁文館高等学校へ進学しており、大学も日本体育大学と私立。
母子家庭という状況でありながらこうした進路を選べたのは、先述した祖父の経済的なバックアップがあったからだと考えられています。
品川区は東京の中でも比較的生活環境の整ったエリアで、商店街や海辺のスポットも充実した場所です。
メンディーさんが芸能活動を始めた際に、母校の鈴ヶ森中学校の開校70周年記念式典にサプライズゲストとして登場したこともあり、地元への愛着は今も続いているようです。
実家は東京都品川区で、父親不在の母子家庭ながら、祖父の支援を受けながら私立高校・私立大学へと進む恵まれた教育環境の中で育ちました。
母親の関口由美は厳しくも愛情深い人
関口メンディーさんのお母さんは、日本人女性の関口由美(ゆみ)さんです。
メンディーさんはSNSや公の場でお母さんのことを「ゆみちゃん」と呼んでおり、2人の仲の良さが伝わってきますよね。
離婚後は女手一つでメンディーさんを育て上げた由美さんですが、その育て方は「温かくも厳しい」と一言で言い表せます。
たとえば小学生のころ、クラスが学級崩壊状態になり、メンディーさんも授業中に後ろを向いてしゃべっていたことがありました。
それを見た由美さんは怒りを抑えきれず、一度息子に手を上げたこともあると語っています。
ただ、これも息子への深い愛情ゆえのことです。
2分の1成人式の手紙エピソード
関口メンディーさんの人生において、もっとも重要なターニングポイントのひとつが、小学4年生の「2分の1成人式」の際に母親からもらった手紙のエピソードです。
その手紙にはこう書かれていました。
「日本と世界の架け橋になってほしい」
この言葉がメンディーさんの心にずっと残り続けました。
実際に2024年のLDH卒業会見でも、この手紙の言葉を独立の決断を後押しした理由のひとつとして語っています。
「小学4年生のときに学校行事の際に母から手紙で『日本と世界の架け橋になってほしい』と言われ、その言葉がずっと心に残っていた」
また、大学を中退してGENERATIONSに加入するという決断を下したときも、由美さんはメンディーさんの選択を応援してくれたそうです。
ハーフとして生まれ、差別を経験し、父親不在の環境で育ったメンディーさんにとって、母親の存在と言葉はかけがえのないものだったはずです。
母親の関口由美さんは、厳しくも深い愛情でメンディーさんを育て上げた人物で、「日本と世界の架け橋になってほしい」という言葉が息子の人生を動かし続けています。
関口メンディーの父親のまとめ
- 関口メンディーの父親はナイジェリア出身の男性
- 名前・年齢・職業はすべて非公開で不明
- 母親は日本人の関口由美(ゆみ)さん
- 両親は関口メンディーが小学1年生の頃に離婚
- 離婚後は母子家庭として東京都品川区で育った
- 離婚以降、父親とはほとんど会っておらず連絡も途絶えている
- 2024年5月の記者会見で「生きているかもわからない」と本人が告白
- 「父親が行方不明」という噂は正確ではなく、正しくは「居場所不明・連絡途絶」
- 父親への憧れから日焼けサロンに通い、肌を黒くするようになった
- 「世界仰天ニュース」でスーツ姿の父親の写真が紹介されたことがある
- 母方の祖父は山中湖に別荘・クルーザーを持つ資産家
- 祖父が幼少期から多くの経験を与えてくれた父親代わりの存在だった
- 国籍は日本、アメリカ・ニュージャージー州生まれで1歳から品川区育ち
- 英語は話せなかったが、近年は猛勉強中
- 母からの「日本と世界の架け橋に」という手紙がLDH卒業の一因に
- 2025年1月25日に結婚を発表(相手は一般女性)

