辻仁成の家系図がすごい!祖父は発明家で母は弁論大会代表の才女だった

辻仁成の家系図がすごい!祖父は発明家で母は弁論大会代表の才女だった

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辻仁成さんの家系図、調べてみたら才能豊かな人物ばかりで驚きました。

母方の祖父は銃の発明家から仏教に帰依して白仏を建立し、その物語がフランスの文学賞を受賞した作品のモデルになったというから、スケールが違いますよね。

この記事では辻仁成さんの家系図を祖父母から息子まで徹底的にまとめました。

この記事を読むとわかること
・辻仁成の家系図に連なる多才な家族・親戚の詳細プロフィール
・3度の結婚歴と2人の息子(南依岐・辻十斗)の現在
・実家が金持ちだった可能性とその根拠

辻仁成の家系図と家族構成まとめ

作家・ミュージシャン・映画監督と多彩な顔を持つ辻仁成さんですが、その家系図を見ると才能豊かな人物が勢ぞろいしています。

ここでは祖父から弟、さらには親戚まで、辻仁成さんの家系図と家族構成を詳しく見ていきましょう。

家族構成の全体像と家系の特徴

辻仁成さんの家族構成を一覧で整理すると、以下のようになります。

続柄 名前 特徴
母方の祖父 今村豊 発明家・今村製鉄所創業者
辻信一 日新火災海上保険の社員
辻恭子 弁論大会代表・料理教室講師
本人 辻仁成 作家・ミュージシャン・映画監督
辻恒久 陶芸家・個人事務所社長

辻仁成さんの家系図をたどっていくと、母方の祖父は発明家、母は弁論大会代表、親戚には童話作家や将棋観戦記者がいるという、とにかく多才な人物が集まった家系だということがわかります。

父方は地主の家系で、母方は製鉄所創業者の社長令嬢の家系。

どちらの血筋も名家であり、辻仁成さんの多才ぶりは家系のDNAとも言えるかもしれませんね。

ちなみに辻仁成さん自身は1959年10月4日生まれの東京都日野市出身で、少年時代は父親の転勤で福岡市、帯広市、函館市と各地を転々としています。

北海道函館西高等学校を卒業後、成城大学経済学部に進学しますが中退。

1985年にロックバンド「ECHOES」のボーカリストとしてデビューし、1989年には小説『ピアニシモ』ですばる文学賞を受賞して作家デビューも果たしています。

音楽と文学の二刀流でキャリアをスタートさせたこと自体、この家系図の「多芸さ」を体現していると言えそうです。

母方の祖父・今村豊は発明家で地元の名士

辻仁成さんの母方の祖父・今村豊さんは、福岡県大川市大野島で「鉄砲屋豊」と呼ばれた地元の名士です。

今村豊さんは今村製鉄所の創業者で、中九州一円で事業を成功させた実業家でした。

辻仁成さん自身も「その大規模な工場群、巨大なクレーンなどの近代的な設備、物凄い数の従業員、そこで陣頭指揮をする勇ましい祖父の姿は今も脳裏から離れることはない」と振り返っているほどです。

……なんというか、スケールが違いますよね。

戦後は重機の開発にも力を入れ、以下のような発明品を世に送り出しています。

  • 自動三輪の耕運機(トラクターの原型)
  • 海苔の巻き上げ機
  • 海苔の乾燥機

地元の産業を支える技術の基礎を築き上げ、さらに地元の市議会議員も務めていたというのですから、まさに名士中の名士です。

ただ、今村製鉄所は祖父の死後、兄弟たちの経営がうまくいかなかったとのこと。

名前自体は現在も残っているそうですが、往時の勢いは失われてしまったようです。

白仏のモデルとなった祖父の戦後の転身

今村豊さんにはもう一つ、忘れてはならないエピソードがあります。

実は太平洋戦争中に「今村五連式銃」という銃を開発し、軍のために自動小銃なども製造・供給していました。

しかし、自分が発明した銃で多くの命が奪われる現実に心を痛め、戦後は浄土真宗に帰依します。

辻仁成さんの出身地でもある大野島の島民を説得し、数千体もの戦死者の遺骨を発掘。

それらの遺骨で仏像「白仏」を建立し、鎮魂の象徴としました。

この白仏は現在も大野島の勝楽寺で安置されています。

そしてこのエピソードこそが、辻仁成さんの小説『白仏』のモデルとなったストーリーです。

仏語翻訳版『Le Bouddha blanc』はフランスの五大文学賞の一つであるフェミナ賞の外国小説賞を受賞しており、日本人として初の快挙でした。

正直、読んでいて胸が熱くなるエピソードですよね。

祖父の壮絶な人生が、孫の辻仁成さんを通じて世界的な文学作品となったわけです。

父・辻信一は損保会社のエリート社員

辻仁成さんの父・辻信一さんは福岡県出身で、日新火災海上保険に勤務し、将来の社長候補と呼ばれるほど優秀な社員でした。

辻仁成さんいわく「猛烈社員」で、家庭よりも仕事を最優先にする昭和のサラリーマンそのものだったようです。

辻仁成さんには父と遊んだ記憶がほとんどなく、抱っこされた記憶も語り合った記憶もないのだとか。

あるのは「怒鳴られた記憶、びくびくしていた記憶」ばかりで、父が自宅にいる日曜日は憂鬱で逃げ回っていたそうです。

……これは子ども心にきつかったでしょうね。

ただ、そんな厳格な父にも優しい一面がありました。

辻仁成さんがデビュー直後に資金難に陥ったとき、表向きは母・辻恭子さんを頼ったのですが、実はその資金を用意してくれていたのは父・辻信一さんだったのです。

息子を前にすると素直になれず厳しく接してしまうけれど、陰ではしっかりサポートしていた。

不器用だけど愛情深い父親像が浮かんできますよね。

残念ながら辻信一さんは2007年4月に病気で他界されています。

晩年はライバルとの出世争いに敗れて窓際族となってしまいましたが、周囲には弱い姿を見せず、いつもニコニコしていたそうです。

そして、辻仁成さんが作家になったことを大変喜び、博多の書店を回っては「自分の息子なんです」と誇っていたのだとか。

厳格だけど実は息子を誰よりも応援していた父親だったということですね。

父が残した3つの教え

辻信一さんは息子に3つの言葉を繰り返し伝えていました。

  • 「人に迷惑をかけるな」
  • 「人のものを欲しがるな」
  • 「手に職を持て」

辻仁成さんはこの3つの教えを今もずっと心に留めているそうです。

作家としてだけでなくミュージシャンや映画監督としても活躍する辻仁成さんの「手に職を持て」を体現するかのような多才ぶりは、もしかしたら父の教えが根底にあるのかもしれません。

母・辻恭子は弁論大会代表の才女

辻仁成さんの母・辻恭子さんは1935年生まれで福岡県大川市大野島出身です。

実家は「大野島の盟主」と呼ばれる名家で、祖父・今村豊さんの社長令嬢として育ちました。

辻恭子さんの最大の特徴は、とにかく弁が立つこと。

幼い頃から才気あふれる少女で、中学生の頃には全校生徒の前で堂々と弁論を披露し、弁論部として九州大会に出場して3位に輝いています。

さらに高校時代には全国弁論大会の福岡県代表に選ばれ、名古屋での大会に出場しました。

父・辻信一さんも「内容もよかったと思うけど、あの気迫だったと思う。母さんには人のこころを鷲摑みにする迫力と強い説得力があったんだ」と振り返っています。

辻仁成さん自身も「ぼくは子供ながらにこの人はただものじゃない、と思っていた」と語るほどです。

ご両親の夫婦喧嘩では「言い合いになると母さんが圧倒した」とのことですが、「母さんのいいところは父さんを追い込まないところにあった」というバランス感覚も持ち合わせていたようです。

母・辻恭子さんが子どもたちに伝えた教えも印象的です。

「人間は他人に対する尊敬の念が一番上にある。どんなに自分の方が弁が立っても、相手を追い込んではならない。大事なことはお互いを尊敬しあうことだ。言葉で勝つのではなく、こころで和解しなさい」。

……なんか、じんわりしますよね。

辻仁成さんの作家としての表現力や人間観察の鋭さは、この母親譲りなのかもしれません。

郵便局ポスターのモデルにもなったマドンナ

弁が立つだけでなく、ルックスも抜群だった辻恭子さんは地元のマドンナ的存在でした。

集会や講演会、弁論試合に招待されるほどの人気ぶりで、なんと郵便局ポスターのモデルに抜擢されたこともあるそうです。

結婚後は料理の才能も開花させ、料理教室の講師を務めたほか、得意の刺繍でも講師をしていたとのこと。

弁論・料理・刺繍・華道と、多才すぎるお母さんですよね。

現在は福岡県福岡市の実家で暮らしており、辻仁成さんの個人事務所の会長も務めています。

弟・辻恒久は陶芸家で事務所社長

辻仁成さんには3歳年下の弟・辻恒久さんがいます。

1962年生まれの辻恒久さんは未熟児で誕生しましたが、すくすくと成長。

辻仁成さんからは「つねちゃん」と呼ばれ、幼少時代は兄にくっついて回っていたそうです。

辻恒久さんの経歴はなかなかユニークです。

時期 経歴
大学卒業後 千葉工業大学卒業、AKAI電気で設計業
その後 ラジオ制作会社に転職
独立後 辻仁成のマネージャー兼専属運転手
福岡帰郷後 FM局でディレクター
現在 陶芸家、辻仁成の個人事務所社長

陶芸家として洋陶器のランプなどの作品を手がける一方で、2021年には電子書籍レーベル「DesignStoriesBooks」の販売配信企画責任者として辻仁成さんの書籍出版もサポートしています。

辻仁成さんは弟のことを「お兄ちゃんのような弟」と表現しており、しっかり者であることが伝わってきます。

現在は福岡県の実家の近くに住み、母・辻恭子さんのお世話をしているとのこと。

エンジニアからラジオ制作、マネージャー、陶芸家、事務所社長と、兄に負けず劣らず多才な弟ですよね。

諌山宗家のお嬢様との結婚と現在

辻恒久さんの結婚歴についても触れておきましょう。

46歳のときに「諌山宗家のお嬢様」と結婚しています。

諌山宗家とは福岡県にある吟詠(詩吟)の流派の宗家で、良家のお嬢様との結婚でした。

結婚披露宴には兄・辻仁成さんも出席し、代表として挨拶をしたそうです。

ただし、現在は離婚しており独身。

福岡県で母・辻恭子さんと穏やかに暮らしているとのことです。

東君平や東公平など親戚にも多才な人物

辻仁成さんの家系図を語るうえで外せないのが、母方の親戚にいる著名人たちです。

まず紹介したいのが、童話作家の東君平(ひがしくんぺい)さん。

東君平さんは、辻仁成さんの母・辻恭子さんの従姉妹・英子さんの夫にあたります。

つまり辻仁成さんにとっては従叔父にあたる人物ですね。

1940年1月9日生まれで兵庫県神戸市出身の東君平さんは、画家・童話作家として「のぼるはがんばる」「くんぺい魔法ばなし」「おはようどうわ」シリーズなどの作品で知られています。

残念ながら1986年12月3日に風邪が悪化して肺炎のため46歳の若さで亡くなりましたが、娘の東菜奈さんも絵本作家として活躍しています。

辻仁成さんは東君平さんの存在が身近にあったことで、音楽や文学で身を立てるという決意を固めたとも言われています。

身近にクリエイターの「お手本」がいたことが、辻仁成さんの創作人生に大きな影響を与えたのでしょう。

さらに、東君平さんの兄・東公平(ひがしこうへい)さんも注目すべき人物です。

1933年生まれで、超難関校の灘高等学校を中退して将棋棋士を志したという異色の経歴の持ち主。

奨励会で初段まで昇段するも棋士の道は断念し、将棋観戦記者に転身しました。

「将棋ペンクラブ」を創設して棋士への取材方法を確立させ、さらに日本チェス連盟のチャンピオンに輝いたこともあるという、こちらも多才な方です。

発明家の祖父、弁論の達人の母、童話作家の従叔父、将棋記者の大叔父……。

辻仁成さんの才能は、まさにこの家系図から生まれるべくして生まれたものだと感じますよね。

辻仁成の家系図を調べる人向けの関連情報

辻仁成さんの家系図に興味がある方は、結婚歴や実家の経済事情も気になるところだと思います。

ここでは3度の結婚と2人の息子、そして実家の資産背景について整理していきます。

実家は金持ちだった可能性が高い理由

辻仁成さんの実家がお金持ちだったのかどうか、気になりますよね。

結論から言うと、辻仁成さんの実家は裕福だった可能性がかなり高いです。

その根拠を整理してみましょう。

まず父方について。

辻仁成さんは「父さんの方は地主の家系だった」と語っています。

さらに父・辻信一さん自身が日新火災海上保険で「将来の社長候補」と言われるほど優秀な社員でした。

高度経済成長期の真っ只中で大手損保会社のエリート社員だったわけですから、収入は相当なものだったと推測されます。

次に母方について。

祖父・今村豊さんは今村製鉄所の創業者で中九州一円で成功を収めた実業家。

母・辻恭子さんはその社長令嬢として育っています。

父方は地主の家系、母方は製鉄所創業者の社長令嬢という組み合わせですから、裕福な家庭だったと考えるのが自然でしょう。

ちなみに辻仁成さんの現在の実家は福岡県福岡市にあり、母・辻恭子さんが暮らしています。

近くには弟・辻恒久さんも住んでおり、母のお世話をしているそうです。

南果歩との結婚と離婚の経緯

辻仁成さんの2度目の結婚相手は、女優の南果歩さんです。

1995年に結婚し、同年9月に長男・南依岐さんが誕生しています。

しかし結婚から5年後の2000年3月に離婚が成立しました。

離婚の詳しい理由は公にされていませんが、お互いのクリエイター気質がぶつかった面もあったのかもしれません。

ちなみに南果歩さんはその後、2005年に俳優の渡辺謙さんと再婚しましたが、2018年にこちらも離婚しています。

興味深いのは、離婚から20年後の2020年1月に辻仁成さんと南果歩さんがパリで再会を果たしたエピソードです。

辻仁成さんが手料理を振る舞い、南果歩さんは全く怒りを覚えなかったとのこと。

元夫婦として穏やかな関係を築けているところに、お互いの人間的な成熟が感じられます。

この再会は長男・南依岐さんが異母弟に会いたいと希望したことがきっかけだったそうです。

中山美穂との結婚・離婚の真相

辻仁成さんの3度目の結婚相手は、女優・歌手の中山美穂さんでした。

2人の出会いは雑誌の対談がきっかけ。

そこから8か月という短い交際期間を経て、2002年6月3日に結婚しました。

結婚後はパリに拠点を移し、2004年1月には次男・辻十斗さんが誕生します。

しかし12年間の結婚生活を経て、2014年7月8日に協議離婚が成立しました。

離婚の背景には、中山美穂さんが長年患っていた子宮筋腫の状態が限界に達する中で、音楽家の渋谷慶一郎さんと出会い、献身的に支えてもらったことがあったとされています。

中山美穂さん本人も「好きな人に出会った」と離婚の理由を語っています。

離婚にあたって、辻仁成さんが提示した条件は息子の親権を自分が持つことでした。

中山美穂さんはこの条件を受け入れ、親権を辻仁成さんに譲る形で離婚が成立しています。

その後、中山美穂さんは息子と約10年間会えないまま、2024年12月6日に54歳で急逝されました。

……想像するだけで胸が締め付けられますよね。

辻仁成さんはシングルファーザーとしてパリで息子を育て上げ、その日常をブログやSNSで発信し続けてきました。

長男・南依岐は画家として活躍中

辻仁成さんと南果歩さんの長男・南依岐(みなみ・いぶき)さんは、1995年9月生まれの画家です。

玉川学園で小学校から高校までを過ごし、その後アメリカ・サンフランシスコにあるアカデミー・オブ・アート大学でBFA(美術学士)を取得しています。

南依岐さんの画風は「アルゴリズム」と名付けた独自の制作手法によるもので、完成イメージを記号化してからキャンバスに描き起こすという、オリジナリティあふれる現代アートを生み出しています。

アメリカと日本を中心に各地で個展を開催するなど、精力的に活動中です。

プライベートでは23歳のときにアメリカで出会った1歳年上の日本人女性と学生結婚し、子供も1人授かっています。

お父さんの辻仁成さんも20歳で学生結婚していますから、親子で学生結婚というのもなんだか運命的ですよね。

画家として独自の道を歩む南依岐さんの活躍は、辻仁成さんの家系図に流れる「クリエイターの血」を感じさせます。

次男・辻十斗はフランスの大学生

辻仁成さんと中山美穂さんの次男・辻十斗(つじ・じゅうと)さんは、2004年フランス生まれのフランス育ちです。

両親の離婚後は父・辻仁成さんのもとで育ち、父子二人三脚のパリ生活はブログやYouTubeチャンネル「2G」でもたびたび紹介されてきました。

高校卒業後にフランスの大学入学資格試験であるバカロレアに合格し、2022年にパリの大学に進学。

しかし「自分の進むべき道ではない」と感じたことから、勉強し直して別の大学を受験し合格しています。

辻仁成さんは息子が進んだ大学について「かなり特殊な大学であった。専門性の高い、スペシャリストの大学」と明かしています。

辻十斗さん本人は「大きな街を創造する仕事に就いて、フランスと日本をつなぐプロジェクトに参加したい」と将来の夢を語っており、建築やデザイン、インフラ関連の専門分野を学んでいる可能性が高いです。

音楽の才能にも恵まれており、有名レコード会社からオファーが来るほどなのですが、本人は「ぼくは30歳まで大学で勉強をして、その道のスペシャリストになりたい。音楽は楽しいけれど、趣味は趣味で続けて、社会人として世に出るつもり」と、自分の道を明確に持っています。

父譲りの多才さを持ちながら、しっかりと自分の将来を見据えている辻十斗さん

料理の腕前も相当なものだそうで、ここにも辻仁成家の「多芸」のDNAが脈々と受け継がれているのを感じますね。

辻仁成の家系図のまとめ

  • 辻仁成は1959年10月4日生まれ、東京都日野市出身の作家・ミュージシャン・映画監督
  • 母方の祖父・今村豊は今村製鉄所の創業者で発明家、地元の市議会議員も務めた名士
  • 祖父は「今村五連式銃」の開発者で、戦後に浄土真宗に帰依し「白仏」を建立した
  • 小説『白仏』は祖父をモデルにした作品で、フェミナ賞外国小説賞を日本人として初受賞
  • 父・辻信一は日新火災海上保険のエリート社員で、将来の社長候補とされていた
  • 父は厳格な人物だったが、陰では息子をサポートする優しい一面もあった
  • 母・辻恭子は1935年生まれで全国弁論大会の福岡県代表に選ばれた才女
  • 母は料理教室や刺繍教室の講師も務め、地元のマドンナ的存在だった
  • 弟・辻恒久は陶芸家で、現在は辻仁成の個人事務所の社長を務めている
  • 親戚には童話作家の東君平や将棋観戦記者の東公平がおり、家系全体が多才
  • 父方は地主の家系、母方は製鉄所社長令嬢の家系で、実家は裕福だった可能性が高い
  • 3度の結婚歴があり、2人目の妻は南果歩、3人目の妻は中山美穂
  • 長男・南依岐は画家としてアメリカと日本で活動中
  • 次男・辻十斗はフランスの大学に在学中で、30歳まで勉強を続ける意向を示している
  • 辻仁成の多才さは、発明家の祖父・弁論の達人の母・童話作家の親戚という家系図から受け継がれたもの

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